たいせつなひと・前編


 アフピラニュート東大陸・ミュスグルド・・・東南の地方にその小国はある。
 いつ誰が始めたのか分からないほど内戦状態が続き、国は荒れ放題。強盗、万引き、泥棒などは日常茶飯事。時には人身売買までされているとも。そんな国であるから、スラム化が進むは至極当然であり、治安の治の字も無いと言っていい。
 どっこいそんな中でも人々はたくましく生活を続けている。たとえ『死と背中合わせ』と言う嫌な状況でも、いつか来る平和を信じて。

 しかし、戦争を生業とする者も居る。主の命令のままに動く駒となり、任務を果たして二束三文の駄賃を受け取る人々・・・いわゆる傭兵。彼らにとっては戦争を誰が何のためにやるかなど関係ない。大義名分など必要ない。金さえもらえれば仕事をする・・・昨日の敵が今日は味方ということも彼らには多々ある。もちろん、その逆も。
 そんな根無し草で敵とも味方ともならぬ混沌を運ぶような戦争屋は嫌われてしかるべきものだが・・・生活のために止む無く、という事情を理解している人も少なくない。もっとも、根っからの傭兵もいないわけではないが。


混沌の中で日々を過ごすその小国の名前は、バルケルステイと言った―――


たいせつなひと



バルケルステイ・首都7番街近く

 まだ日も高くならぬ頃、黒煙を上げて軍用ジープが街中を走っていく。その中には揃いも揃って緑色の軍服に身を包んだウルブレンス(狼人)達の姿。彼らは正規の軍人でも、反乱軍でもなく、傭兵・・・傭兵団・ドルヴァーディのメンバーである。
 アムラムと言う町を占拠しようとする反乱軍から守るために2ヶ月ほどの長期依頼を受けた彼らは、今朝方任期を終え、古巣である7番街へと戻る途中なのだ。彼らのうち何人かは所々に包帯を巻いており、血が滲んでいる物も見て取れる。乾ききっていないため赤い色をしているそれは、任期終了直前にも戦闘があった事を暗に示していた。しかし、痛みは治まっているのだろう、誰も彼もが静かに眠り、目的地に到着することを待っている。

「・・・・・・」
「ヴァイ、どうかしたか?」
 そんな中で、一人だけ目を開けてそわそわしている狼人に気づき、運転席の男が呼びかけた。
「・・・別に、何でもない」
 ややぶっきらぼうにヴァイと呼ばれた青年は答えた。団員の中でも若い方らしい、まだ10代か、20代の初めの頃と見える。ダーティブルーの髪の毛が他の狼人の黒い毛並みの中で一際目立つ。
「の割にはやけにそわそわしてないか? さては・・・」
「何でもない、イーギル」
 この青年の反応が無愛想なときは大概何か気になることがある証拠だ、面白がって運転手であるイーギルは口元をほころばせつつ、予測を言う。
「弟が心配なんだろう」
「・・・」
 途端、バックミラーの中で苦虫を噛み潰したような表情をするヴァイ。どうやら図星だったらしい。
「2ヶ月ぶりだな・・・忘れてなきゃいいな?」
「それだったらそれで、厄介払いができたってだけだ」
 意地悪くそんなことを言うイーギルに対し、無表情に戻ったヴァイは冷静に切り返した。言いたくないことに関しては本心と反して冷たく言い放つのが彼だ。これ以上問うても無駄に終わるだろう。
「ふーん・・・まぁ、いいや。 でもその冷たい性格直したほうがいーんじゃねーの?」
「お前が陽気すぎるだけだ」
 まるでカミソリのような態度。別に怒っているわけではないが、誤解を受けやすいのは間違いない。
「はいはいっと・・・そろそろ着くぞ、ヴァイ」
「ああ」
 イーギルはそんな仲間の性格を知っているため苦笑を漏らし、目的地が近いことを示した。隣の団長もいつの間にか起き出して、静かに、しかし面白そうにヴァイの顔を見つめていた。さぞヴァイは居心地の悪さを感じていることだろう。


 程なくジープは、とある古そうな酒場の前に止まった。中からは一人、バックパックを背負ったヴァイだけが降りてきて、すぐには立ち去らず、助手席に居る隻眼の男に向かって頭を下げる。
「それじゃ団長、また」
「うむ、依頼があったら連絡する。 ここのところ戦況は落ち着いてるし、しばらく無いかも知れん」
「はい」
 初老の団長と2,3事務的な会話を交わして、もう一度頭を下げるとヴァイは背を向けた。依頼が終わって、街に帰って、ヴァイだけがこの酒場に降りる―――もはや見慣れた光景だが、いつも冷静なこいつがそわそわしている様子は何度見ても面白い。
「弟によろしく、な。 ほら」
「いてっ!」
 くくっと頬の端を歪ませ、後ろを向けて歩きだろうとした彼に団長は小さな袋を投げつける。袋はヴァイの後頭部にヒットし、大きな金属音を立てて地面に落ちた。
「っぅ・・・団長!」
「それで弟にいいモン食わせてやれー・・・」
 痛みに抗議の声を上げて振り向くも、既にジープは煙を撒き散らしながら遠ざかっていくところ。後からおかしそうな団長の声が聞こえてきて、ヴァイはまた顔をしかめることになった。
「・・・ったくあのオヤジは・・・」
 ぶつぶつ文句を言いつつ落ちた布袋を手に取り振ってみると、どっしりと重みを感じ、中からはじゃらじゃらと聞きなれた音がする。少しばかりの期待を込めて開けた袋の中には小さなオル銀貨がぎっしりと詰まっていた。道理で痛いわけだ。
「団長・・・」
 やり方こそ乱雑だが、あれで自分たちの事を案じているのだろうな・・・狼人としては珍しい思考だけど。
 さっきまで硬く張り詰めていた表情を緩め、傭兵団のジープが去って行った方向を見ながらそんなことを思っていると、背後のドアが開いた。反射的に胸ポケットの銃を引き抜きそうになるのを押しとどめ、ゆっくりと振り向く。
「お兄ちゃん?」
 そこに居たのは驚いたような表情の犬人の少年。右の膝から下がないオーバーオールに身を包んだその子は、掃除でもするのか箒とちりとりをその手に握っている。
「ナック・・・いい子にしてたか?」
 会う前にいろいろセリフを考えてたのに、無駄となってしまった。が、自然と口をついて出た言葉に少年は顔を綻ばせ、手に持っていた物を放り投げると自分に向かって飛び込んできた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃんだ! おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。 よしよし・・・」
 正面から勢いよく抱きついてきたナックを抱え上げ、ヴァイは自分の顔と同じ高さに持ってくる。満面の笑顔で迎えてくれたこの子が、彼の『弟』。
―――とりあえずイーギルが言ってたように自分のことを忘れてなくて一安心だ。
「元気だったみたいだな・・・っと、こら、舐めるなよ」
「えへへへ・・・」
 甘えて顔を舐めてくるナックに注意するものの、反省した様子を見せず、今度は頬をこすりつけてくる。しばらく会えなかったのだから、無理も無い。尻尾もまるで千切れんばかりに振って、本当に嬉しいのだろう。が、
「ん・・・お兄ちゃん、くさいよ」
 直後ヴァイの匂いを嗅いだナックは汗や血などが入り混じった悪臭に眉をひそめることになった。その発生源は一目瞭然・・・血、泥、油がところどころに付着した汚い服。
「・・・しばらく風呂入ってないからな・・・」
「やー、お兄ちゃんきたなーい!」
 素直な弟の言葉に兄は苦笑を漏らし、その体をそっと地面に下ろす。ちょっと残念な顔はされたけども。
「マスターは起きてるか?」
「うん、今在庫の確認してるみたいだよ」
 改めて掃除のためにほうきを手に取ったナックは笑顔で答えてきた。冷遇されてないかちょっと心配だったが、この笑顔を見る限りでは大丈夫そうだ。まぁ、マスターがそんなことをするとは到底思えないが。
「そうか」
「終わったら呼んでね」
 何か大人の話をするんだと経験的に悟っている彼の頭を優しくなでると、ヴァイは開きっぱなしのドアから人の気配がしない酒場へと足を踏み入れた。

 静かな店の中は、古ぼけた木製のテーブルと椅子が何組かあり、当然と言えば当然だが客の姿は見えない。カウンターは新調されたのか、光沢を放ち、新しい木の匂いが鼻をつく。
「・・・」
 店内を見回してもマスターと思しき人影は無い。
「在庫の確認と言ったっけな・・・」
 しばらく待たないとダメだろうか・・・。仕方なく床にバックパックを置いてカウンターの椅子に腰掛けると、カウンター横の部屋から音が聞こえてきた。
 そこは確か保存食糧(乾パンなど)の倉庫だったはずだ。
「・・・マスター?」
 用心深く胸ポケットの拳銃に手を伸ばしつつ、音がする方向に呼びかけてみる。非戦闘地域だからと言って油断はしない。その警戒心が、彼を今日まで生き延びさせてきたのだから。
「んー?」
 が、そんな彼の緊張とは裏腹に、間延びした声が奥から返ってきた。その声が聞き覚えのあるものであったことに安心し、ようやくヴァイは拳銃から手を離す。直後、ほっかむりを被った小柄な猫族の男性が姿を現した。マスターと呼ばれる割にはどうみても20代にしか見えないが。
 はたきと帳簿を持っているところを見ると、どうやら本格的に在庫を整理してたらしい。
「悪いけどまだ・・・うん? ヴァイ!」
「おはようマスター・・・いや、ただいまと言うべきか?」
 気のよさそうなマスターは彼の姿を見ると、ナックと同じように笑顔になり、帳簿とはたきを置いてこちらにやってきた。ほっかむりをはずすと毛並みと同じオレンジ色の耳が露になってぴこぴこと上下する。年齢の割には可愛らしい。
「お勤めお疲れさん、いやー今回も無事生きて帰ってこれてよかったよかった。 あ、ナックには会った? お前に会うためにアムラムに行くんだーとか言い出して困ったよ・・・ああ、このカウンター新調したんだけどどうかな? カムラ樫の安もんだけどさ」
「・・・はは・・・それより何か食わせてもらえないか・・・?」
 口を開くなりマシンガントークを放つマスターを片手で遮り、空腹を訴える。実は早朝に済ませるはずの朝食の時間に襲撃があったため、そのまま食べること出来ないまま帰ってきたのだ。
「ん? ちょっと時間かかるよ?」
「構わない。 その間にシャワーを借りる」
「ああ、そうだったね」
 傍若無人な言葉にしか聞こえないが、すでに慣れているマスターはあっさりとうなずいて返した。
「ところで着替えは?」
「ん?・・・この服じゃまずいか?」
 自分の服を見下ろし、次いでふるふると首を振って着替えるのが不思議なことのようにきょとんとした表情を作るヴァイ。いつものことだが、戦場から帰るとこの若い狼人の感覚は麻痺してしまっている。戦場での感覚が抜け切っていないため、日常の感覚に戻っていないのだ。その切り替えができていないせいで団長に子供扱いされているところをよく見かける。
「やっぱり無いんだね・・・毎回言ってるけど、店の・・・」
「ああ、清潔感と雰囲気に関わるんだったよな、悪い悪い」
 諦めと呆れが入り混じった顔で、通算何度目になるかの小言を言おうとするマスター。しかしそれを遮り、ヴァイは続きを言ってしまう。その態度は悪びれないならともかく、ばつが悪そうに頭をかいているので、マスターはしょうがないと言わんばかりにため息をつき、よしとすることにした。
 それにしても体が汚いことは分かっていても、服の汚さについては無頓着と言うのはいかがなものか。
「着替えはこうなるだろうと思ってナックが持ち込んでるから、それを用意させるよ」
「分かった。 ついでにこいつも預かっててくれ」
 と、ヴァイが指差したのは床に置かれたバックパック。体型が大柄な種族用のため、マスターの身長の半分はあろうかと言う代物だ。それも傍目からも分かるほど満杯に詰め込まれており、入りきらなかったと思われる狙撃銃がにょっきりと銃口を覗かせている。重さは相当だ。
「はいよ。 護身用の銃は?」
「念のため・・・持っとく」
「相変わらずだなぁ・・・俺だって一応兵役は勤めたんだし、大丈夫だって」
 ヴァイの用心深さに苦笑するマスター。だが彼が心配しているのは我が身ではなく、本当は自分とナックであることをマスターは知っている。
 一応自分は兵役を経験した身だし、ナックや自分を守ることができる、そう主張するのだが、彼はこれだけは聞き入れない。
「心配性だよなぁ・・・」
「・・・怪我でもしたらどうするんだ」
 一息に言い切ると照れ隠しなのか自分を見つめる視線から目をそらし、ヴァイはまるで逃げるようにカウンター奥の私室へと入っていく。
 赤くなっている顔は見られずに済んだはずだ。多分。
「・・・心配されるのは、悪い気分じゃないけどさ」
 一人残されたマスターは、照れたように微笑み、鼻の頭をかくのだった。



 脱衣所のヴァイ用と書かれた紙の張ってあるカゴに汚れた衣服を放り込み、ガラス戸を開けて広いバスルームへと足を踏み入れる。さすがに銃は持ち込めないので衣服の上に適当に置いておく。
 浴槽には当然といえば当然だが、お湯は入っていない。と、なればやることは一つ、ヴァイは脳内命令に従って蛇口を全開にした。
 ざばーっと勢いよく噴き出すお湯と水によって埋められていく浴槽を横目に、続けてシャワーのコックを捻る。
 が、
「うわっ!」
つい、バスタブと同じように思いっきり捻ったヴァイの体に、壁に掛けられたシャワーノズルから冷水が叩きつけられた。思わず短い悲鳴を上げてしまったが、とりあえず冷静にコックを適当な水量になるまで絞る。こんな馬鹿みたいなことで悲鳴を出した自分がちょっと情けない。
「・・・ふぅ」
 やがて水はお湯へと変化し、ようやく安心してヴァイはシャワーを浴び始めた。やや高い温度だが、汚れを落とすにはこのくらいあったほうがいい。
 温かい水は戦闘の緊張感で疲弊した精神をリラックスさせ、ぴりぴりと張り詰めていた感覚を溶かしていく。
 こんなにゆっくり入れるのは、何日ぶりだろう・・・。
 そんなことを考えながらシャワーを浴び、全身にくまなく湯を通した頃、不意に脱衣所の方向から物音がした。
「ん? 誰だ?」
 ガラス戸の向こうのシルエットは湯煙にかき消されてよく見えない。誰だろうかと考える間もなく、音の発生源は聞き覚えのある大声を上げてその存在をヴァイに知らしめた。
「お兄ちゃーん、僕も一緒に入るー!」
「ナッ・・・」
 名を呼ぶよりも早く、本人はガラス戸を勢いよく開け放ち、飛び込むように入ってきた。
「・・・ク・・・何だ、お前風呂入るほど汚れてるのか?」
 シャワーを浴びているそばに寄ってきて、こちらを見上げる弟に苦笑を漏らすヴァイ。相変わらず小さい・・・身長が単純に50センチ弱も離れているためその成長に気づかないのも仕方がないが。
「そんなに汚れてないと思うけど・・・お兄ちゃんと一緒に入りたくって」
 と、言ってナックは無邪気な笑みを返してきた。
「しょうがないな・・・全く」
 まさかもう入って来たものを出させるわけにもいかず、頭をなでてからシャワーノズルを向けてお湯を浴びせてやる。
「んー・・・ちょっと・・・熱い」
「そうか? じゃあ・・・」
 さすがに子供には熱いのか、我慢するようにナックは眉根を寄せる。仕方なくヴァイはコックを捻り、温度を・・・一気に下げた。
 ・・・ざさーっ
「キャンッ! つめたーっ!」
 急にお湯ではなく冷水が飛び出してきて、ナックは短い悲鳴を上げて飛び上がる。あまつさえそれだけではなく入り口のほうに逃げていってしまった。
「うー・・・いじわるぅ・・・」
「ははは・・・」
 恨めしそうにこちらを見上げながら戻ってくるナックを見ながら、ヴァイは珍しく声を立てて笑う。そこにある顔は戦いで荒んだ顔ではなく、何処にでも居るような家族を想う人の顔だった。

「で、マスターのお手伝いはどうしたんだ? ちゃんとしてこないとダメじゃないか」
 改めてぬるめに設定したお湯を浴びせながら、ヴァイはナックに問う。ナックは保護者の『兄』が居ない間、マスターの世話になっている。その代わり、マスターの手伝いをするようにヴァイからは言われているのだ。
「んん・・・マスターはね、一緒に入ってきていいって」
「やれやれ・・・だ」
 お湯を気持ちよさそうに浴びつつ、ナックは答える。その素振りからは嘘をついているようには感じられず、内心またマスターは甘やかしたな・・・と苦笑することになった。
「ん〜?」
「何でもない・・・ほら台に座れ、洗ってやるから」
「えー、僕がお兄ちゃんの背中洗うー」
「俺は後でいいから」
 シャワーを止めたヴァイは駄々をこねる彼を半ば無理矢理に小さい腰掛けに座らせ、背中をこちらに向けさせる。自分もまた、壁に立てかけられていた大きめの腰掛けを持ち出して座ると、改めて彼の背中を見た。
「・・・・・・」
 湯に濡れて毛が背中に張り付いているためやや目立たなくなっているが、それでも、右肩から左脇腹まで、大きな筋がある。筋を作っているのは、皮膚のピンク色。明らかに怪我の・・・・それも重傷に入る部類の傷跡だ。食い入るようにそれを見つめるヴァイの顔はまるで怒っているかのように険しい。
「ん・・・!」
「・・・痛いか?」
 まだ毛も生え揃わぬそこを、爪でそっと押すとナックの体がビクッと震えた。その声には苦痛の色が見られないものの、やはり心配だ。
「大丈夫、ちょっとビックリしただけ」
「そうか・・・」
 照れ笑いを浮かべて振り向いた弟の頭を少しなでてやり、それ以上は何も言わずにボディソープの容器を手に取った。

 風呂用洗剤の容器に見えなくも無いそれは、霧吹きのようにやや水状のソープを噴きつける仕組みで、これによりただ手にとって塗りこむよりも効率よく毛の奥にまでしみこませることが出来る。ただ、その分消費量が多くなるが。

 しゅっしゅっとトリガーを引くたび細かくなったソープが噴き出し、ナックの背中に付着して泡と変化する。
「さてと・・・」
 何度か噴きつけたところで、ヴァイは濡らして置いたタオルを手に取り、背中に押し当てゆっくりとこすり始めた。傷跡をなるべく刺激しないよう、優しく。
「んー・・・」
「どうだ?」
「えへへ・・・気持ちい〜」
 こいつはお風呂が好きだもんな・・・
 実に素直に喜ぶナックの様子に、自然自分の頬が緩むのも分かる。やがて背中を泡だらけにしてやって、前のほうに手を伸ばそうとすると、突然ナックはビクッと体を震わせた。
「? どうした?」
「や・・・前は、自分でやるよぉ・・・」
 手を止めたヴァイに、恥ずかしいような、困ったような声を上げてナックは手をばたつかせる。
「遠慮するなよ」
 しかし、何で恥ずかしがるのかよく分からないヴァイはそのまま手を進めて腹をなでるようにタオルでこすってやる。びくびくとくすぐったそうに震えているその様子が面白くて、いじめるようにわき腹もついでになぞってやると、尻尾が跳ね上がった。
「あうぅ・・・え、遠慮じゃなくて・・・その」
「いつも一緒に入ってるときはこうだろ?」
「う、うん・・・」
 でも、このごろ洗ってもらうことが恥ずかしくなってきて、なんだか抵抗を覚えるようになってしまった。それが自分の成長のためとはナックは理解できないのだが、いつまでも自分の体も満足に洗えないような子供と思われるのも嫌だ。
(僕がお兄ちゃんの体を洗おうとすると恥ずかしがるの分かるかも・・・あう、くすぐったい)
「きゅーん・・・」
 考えている間におなかだけでなく胸元もごしごしされていた。見ると上半身の殆どに泡が広がっており、仕方なくナックはおとなしくされるがままになることにする。

「いい子だ・・・」
 張り付いた髪の毛を一撫でしてやると、今度は足のほうにタオルを伸ばした。まずは足から、徐々に上がってひざ、太もも、そして・・・
「あ・・・」
「ん?」
 股間に差し掛かったとき、ナックは何かを言おうとしたが、ふるふると首を振って何でもないことをアピールする。何でもないならいいか、と彼の大事なところにタオルを押し当てたそのとき、ヴァイは『異常』に気づいた。
「・・・・・・」
「お、おにい・・・ちゃん?」
 耳を垂れ下げ、不安と羞恥が入り混じって紅潮した顔がこちらを見つめている。しかし、それよりも押し当てたまま止めた手に伝わってくる感触の方が今のヴァイには重要だった。
「ナック、お前・・・」
「やっ! み、見ちゃ駄目・・・!」
 タオルを持った手をどけ、前を覗こうとするとナックは猫人もかくやと言えそうなスピードで自分のそこを両手で隠してしまった。
「・・・見せるんだ」
「・・・や、やだ・・・」
 傷跡すらも真っ赤になっているところを見ると、ほぼ全身が真っ赤になっているのだろう。当然、恥ずかしさで。
「怒らないから」
 優しい口調でヴァイは見せるように促すも、うつむいてしまったナックは「やだ」の一点張りで言うことを聞こうとしない。入ってきたときはぜんぜん前を隠そうともしてなかったのに。
「・・・ナック」
「・・・・・・」
 答えようともしない。こんなに意固地になるナックは初めてで、どうすればいいのかわからず何度か呼びかけてみたものの、空回りするばかり。
「・・・・仕方ないな」
 とりあえずこのまま洗い続けるわけにもいかないので、未だ湯を出しっぱなしにしている浴槽の様子を見に、その場を少し離れることにした。

 お湯は大体自分の膝あたりまで溜まっていて、ナックと入るにはこのくらいで十分だろう。中腰の姿勢のまま蛇口を絞り、続けて浴槽に腕をひじぐらいまで突っ込んで温度を確かめる。・・・こっちも問題なし。
「ふぅ・・・おわっ!」
 腕を引き抜き、台の所に戻ろうと振り向いたところに、泡だらけのナックが突然抱きついてきた。不安定な体勢のところにさらに不意打ちを受けて思わず倒れそうになってしまったが、何とかこらえて彼を抱きとめる。
「・・・どうした?」
「お兄ちゃんごめんなさい・・・怒らないで・・・」
 どうやら、自分を放って浴槽の方に行ったヴァイの態度が怒っているように見えたらしく、涙声の彼はその首に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。
「ああ、よしよし・・・怒ってないさ」
 甘え上手というか何と言おうか・・・。元々怒る気はなかったけれど。
「ホントに?」
「ホントだ」
 苦笑して頭を撫で回すと、ヴァイは脇に手を入れてナックを抱え上げ、再び台に戻る。その際ナックの股間が見えたが、そこは別段先ほど感じたような『異常』は無かった。
(・・・成長したんだなぁ、いつの間にか)
 ようやく、ヴァイは自分が洗うことを拒否した訳に思い至ったのである。確かに自分も前は洗わせないし・・・とは言え、なんとなく寂しい気分だ。
 これが親の気分なのだろうかと考えつつも、ヴァイは残りをナックに任せ、自分も体を洗うためにタオルを取ったのだった。


 数分後・・・お互いに体を洗い終えた二人は一緒の浴槽に浸かっていた。
「ふぅ・・・」
「ん〜♪」
 広い浴槽ではあるが、細くても大柄なヴァイが足を伸ばすといっぱいいっぱいになってしまう。そのためナックを自分の上に座らせ、抱えるかのような体勢で二人は入浴している。
「お兄ちゃん」
「ん?」
 目を閉じて湯の温かさに感覚を集中していると、突然ナックが呼びかけてきた。目を開けると、こちらを振り向いて見上げている顔がある。
「どうした?」
「んとね・・・えっとね・・・お兄ちゃんは僕のこと好き?」
「は?」
 しどろもどろで何を言い出すのかと思えば、予想もし得ない言葉。一体何故ナックはこんなことをいきなり問うのだろう。
「まぁ・・・好き、だ」
 とりあえず嫌いではないし、大事に思ってるし、好きと言う事なのだろう・・・考えた末のヴァイの言葉に、ナックは顔を輝かせて自分の頬を胸板に擦り付けてくる。
「僕も大好き・・・」
「あ、ああ・・・?」
 何で急にこんなことを聞いてきたのかヴァイには理解できないものの、こうやって甘えてくるのは初めてじゃないのでとりあえず頭をなでてやった。
「お兄ちゃん・・・」
「・・・・・・」
 幸せそうに、だがどこか寂しさを感じさせるその顔。いとおしくなってこちらからもそっと腕を回してその細い体を抱きしめる。
(父親も母親も・・・死んじまったしな・・・寂しくてしょうがないだろうな)
「んぅ・・・あったかい」
 今のナックにとって自分は、兄として、父親のような存在として何がしてやれるだろうか。自分への問いかけは、いまだに答えが出ていない。
「ナック・・・寂しかったか?」
「え・・・?」
 ヴァイを見上げたその顔は、とても意外そうだった。こんなことを問いかけたことは初めてだったのでそれも当然だろう。
 が、ナックは質問を理解してかすぐに恥ずかしそうな表情に変わり、小さくこくりとうなずいた。
「そうか・・・」
 思い浮かぶのは戦地に出発する自分を見送るナックの笑顔。いつでも元気な笑顔を見せながらもしかし、ナックは知らないところで泣いていたのかも知れない・・・そう考えると、ヴァイはなんだか少し後ろめたい気分になった。
「今度は、いつまで居られるの?」
「ん・・・さぁ、な・・・長期の依頼だったし・・・1ヶ月ぐらいは居られるかもな」
 本当は分からない、と答えるところだったが、期待されるような目で見られてはさすがに言えず、適当な答えを述べる。さすがに一ヶ月は長すぎたような気がしなくもないが、言ってからでは後の祭り。
「一ヶ月も? わーい!」
「あ、ああ・・・」
 喜んでるところ悪いけれど、緊急の依頼があったらどうするか・・・ヴァイはそっちの方がむしろ気になっていた。その時はおそらくマスターに任せて、黙っていくのだろうけれど、『寂しい』と言われた手前やはり後ろめたい。

ばしゃっ!

 と、考え込んで黙っているヴァイの顔に突如お湯がかけられた。何事かと思って真下を見下ろすと、悪戯っぽい笑みを浮かべたナックがこちらを見ている。
「ナック・・・何だよ」
「えへへへ〜お兄ちゃんぼーっとしてるんだもん」
「やったな・・・」
 一ヶ月と言う長い期間の宣言がよほど嬉しかったのか、実にナックは楽しそうだ。そんな彼の姿は、年甲斐もなくヴァイのいたずら心に火をつけることになった。
「ん・・・? ひゃうん!」
 気づかれないようにナックの短い尻尾に手を伸ばし、そっと掴んでやるとたちまち彼は嬌声を上げて体を波打たせた。
「ほら、くすぐったいだろう」
「あ・・・やっ・・・ちょ、お兄ちゃ・・・!」
 ヴァイの右手は尻尾をぎゅむぎゅむと揉みながら、左手ではわき腹をなぞる。兄弟同然に過ごしてきた彼が結構敏感な体であることはよくわかっていた。
「あ・・・ん・・・くぁ・・・」
「・・・・・」
 ただでさえ敏感な尻尾を握られてぞくぞくしているところに、さらにわき腹からもくすぐったさが伝わってきてなんとも言えない感覚にナックは翻弄され、笑い声ではなくまるで女のような喘ぎ声を漏らし始めていた。
「や・・・やめ・・・あ」
 急にヴァイの手の動きが止まり、刺激から解放されるナック。ほうと息をつく間もなく抗議せんと振り向こうとしたところに、新たな刺激が今度は股間から伝わってきた。
「お、お兄ちゃん! ダメだよそこ・・・!」
 ハッと気づいて股間に添えられているヴァイの手を剥がそうとするが、力の差がありすぎてびくともしない。
「やっぱり・・・勃起してた・・・」
 皮を被った幼いモノは、今まで加えられた刺激に敏感に反応して、自己主張していた。先ほどの『異常』がこの自己主張によるものであることは疑いようがなく、ヴァイはまじまじと握ったままのまだ小さなそれを見つめる。
「お、お兄ちゃん・・・離して・・・」
 恥ずかしさにうつむきながらも、ナックの視線は自分の握られているそれに釘付けだ。
「大丈夫・・・今、気持ちよくしてやるから・・・」
「え・・・?」
 何がなんだか分からなかったが、理解する間もなく、兄はゆっくりとその手を上下に動かし始めた。
「あ・・?! だ、ダメダメだめっ!」
 感じたことのない刺激に激しく暴れてナックは抵抗を見せるが、しっかりと抱きかかえられ、ほとんど意味を成さない。そうこうしている間にもヴァイは容赦なくそこを攻め立て、やがて抵抗の意思も開かれ始めた性感の前に消え去っていく。
「俺が居ない間・・・自分で、ここ弄ったりしてなかったか・・・?」
「きゅうん・・・んっ・・・して、な・・・んんっ!!」
 一応、子供なりの興味からしっかり勃った状態自分のそれを弄ったことはあっても、それは快感を引き出すのが目的ではない。
 どちらにしても恥ずかしくて言えるはずもなく、否定しようとするのだが、初めてのナックには刺激が強すぎて言葉を出すことも困難だ。そんな彼の反応を楽しむかのようにヴァイは片手で扱き、もう片方の手で乳首を弄って断続的に刺激を与えていた。
「・・・気持ちいいか?」
「わ、かん・・・ないっ! 変な・・・ぞくぞく・・・しちゃっ・・!」
 自分が何をされているか正確に理解できようもなく、ナックはただ刺激を受け取り、脳髄はしびれていく。ヴァイはヴァイで、弟を自分の手で喘がせているという事実に興奮し、その攻めは激しさを増していた。
「出そうになったら・・・言うんだぞ」
「な、何が・・・きゅっ!」
 手でしごく速度は速くなり、風呂場にはくちゅっくちゅっと淫らな音と、時折漏れる喘ぎ声が響き渡る。
「あ、あ・・・くるっ・・・! なんか・・・くるっ!」
「いっていいぞ・・・ほら」
「きゅっ・・・! きゅぅううんっ!」
 皮をむきすっかり露になった先端を指先でくりくりと刺激してやった途端、今までに無いほど激しく高く鳴き、大きく体を震わせて脱力してしまい、ヴァイの手には水とは違うぬるりとした感触が広がった。
「・・・ナック?」
「は・・・ぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
 荒い息を吐き出し、ナックはヴァイに寄りかかるようにしてぐったりしている。その顔を覗き込むと、薄い毛色を通して皮膚が真っ赤になっているのが見えた。
「・・・」
 おでこに静かに手を当てる・・・熱い。目の焦点・・・定まっていない。何より反応が無い。

だだだだだだ・・・バン!
「マスターッ! 氷用意しろ氷―っ!」
 数秒後、全裸でナックを抱えたまま飛び出し、大騒ぎするヴァイの姿があった。


続く





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