メトとレコ・第0話
挿絵協力・Kiske様

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 さまざまな獣人の住む異世界・アフピラニュート

 人間という種族は、無い。全てがケモノの容姿をしてそれぞれの種族に分かれて、今日と言う日を生きている。笑い、泣き、怒り、憎み、時には争い、時には共に歩みながら。

 世界地図上東の大陸……クバレック。比較的気候のバランスが取れ、大量の獣人達が行き交う大陸である。その大陸のさらに北東、小国マルバリウに、ドギークラウンと言う犬人と猫人が一緒に暮らしている小さな村がある。

 一緒に暮らしている……と言えば仲良く共存しているようにも聞こえなくも無いが、それは誤りだ。実際は犬人が7割を占めるこの村で、残り3割の猫人は弾圧されている。猫人もただやられているだけではなく、昔からやられたらやり返せの精神のため、さらに種族間の溝は深まるばかり。

 弾圧される原因が問われることも無く、何年も、何十年も、同じことを繰り返す。同じ種族の中でも穏健派や嫌悪派に分かれながら、その争いは永劫続くように思われた。

 が、近代化が進み人種平等が世界的に叫ばれるようになってきた2年前、紆余曲折の末、猫人穏健派であるマック=ラドナが村長に就き、この長い諍いにもようやく終幕が引かれる時が訪れようとしていた。
 当初猫人をひいきするような方針を取るのではないかと犬人に危惧されたが、平等を徹底したその方針にはむしろ猫人から不満の声があがるほど。

 当然、長く続いてきた差別はそう簡単にはなくならない。村長が猫人になったことで多くの人に衝撃を与え、着実に穏健・共存派は増えてはきているものの、実際猫人を弾圧をしている犬人はまだまだいる。村長はそれを見越し、これから良くして行けばいいと言うが、これからどうなるか、まだ誰にも分からない。

 今、この村は変革の時を迎えている。

これは、そんな混迷の中で出会った、二人の少年の話である―――。

0.『夕月』


 ドギークラウン……その村の住宅地の外れには小川があり、そこを越えると平原区へと続いている。小川を境として、住宅区と比べて極端に少なくなる家、そして広大なプライマル平原が広がるそこは、そのまま平原区と呼ばれていた。
 そんな境界を越えるために存在する小さな木製の橋からは地平線が見え、今の時間……夕暮れともなれば美しい景観となるのだが、その景色を気に留める人はまず居ない。ここを毎日の通学路として通っている犬人の少年も、ただの通過する場所としか捉えていないだろう。

 が、今橋のたもとには腰をかけている猫人が居た。年は10歳ぐらいだろうか。Yシャツと緑色のハーフパンツを着込み、夕陽を物憂げに見つめている少年の名前はレコ。彼は平原区に住んでいるわけでもないのに、毎日わざわざここへ来ては夕陽を見て帰っていくのだ。何故なら彼にとってこの光景が唯一の楽しみであるから。
 ドギレンスには猫人と言うことで嫌われ、さらに原因も分からず同種族にまで避けられて、友達と言えるものが一人も居ない……その寂しさを埋めるように、彼はここへ来る。



「……」
 束ねられた長い髪は風に晒され、尻尾とは別のリズムでゆらゆらと揺れる。靴を脱いだ素足は川面に向けられ、ひやりとした空気が心地よい。
「お母さんが早く退院できますように……」
 沈んでいく日に向かってレコは両手を合わせて祈る。誰にそうしろと言われたわけでもないが、祈らないよりはいいと思う。
 母は隣町にある病院に長いこと入院していた。父は分からない。どこに居るのか、生きているかも母は話してくれないのだ。ただいま、と言っても誰も答えることの無い空間に、居たいはずが無かった。
「帰りたく、ないな……」
 言葉をこぼすレコの前で、容赦なく日は地平線の向こうへ沈み、赤い光が闇で彩られていく青空に映える。暗闇は夜目が利くからもう少し居ても別に問題ないけれど、明日の学校もあるし、何より夕焼けはもう消えるし、帰らないわけにはいかない。
「んしょ……っと。 月だ……」
 帰るために傍らの靴を履いて、日没の方向とは逆の空を見上げたとき、青い満月がその視界に入り、動きが止まった。いつもであれば気にすることなく帰るはずだが、今日は何故かその気にならず、あまつさえいつもより美しく見えたのだ。
「きれいだなぁ……」
 ついさっきまで見ていた夕陽とは対照的な、青い満月の光を浴びながら、レコは素直に感嘆の声を上げる。よくよく考えてみれば、ここで満月を見ることは初めてなのかもしれない。夕焼けが終わりを迎えるまでここに居たことなんてあまりないから。
 しばらく月を見ていたが、やがて何かを思いついたように彼はきょろきょろと辺りを見回すと、平原区に続く道の脇にぽつんと突っ立っている樹木へ目をつけ、急いでその根元まで駆けていく。

「……うん、乗れそう」
 高さが5メートルはあろうかという樹木は横幅が広く、平原区の目印とでもなりそうな大きさだ。根元から見上げつつも、月の方向を時折見ていたレコは一人納得したようにうんうんとうなずき、腰をかがめた。
「せーの……たっ!」
 次の瞬間、迷うことなくレコは地面を蹴り、空中へと舞い上がる。3メートルほどほぼ垂直に飛び上がった彼は、狙っていた枝をつかみ、流れるようにそこを軸にして体を一回転させると、見事に着地した。
「よかった、うまくいった〜」
 自分に拍手したい気分だ。成功にちょっと酔っているレコだが、目前に飛び込んできた月に、そんなことはどうでもよくなってしまった。
「ここから見ても、あんまり変わらないけど、さ……」
 頭の後ろに手を回すと、幹に背中をもたれさせ、足を伸ばす。青い光に樹と一緒に照らされて、まるで枝葉と共に包み込まれているかのようだ。地面に立っていないというだけで、こうも感じ方が変わってくるのだろうか。いや、実際は木が自分を包んでくれているのかもしれない……。

ぐー……
「……」
 何か今雰囲気を壊すように無粋な音が自分から発したような気がするが、気にしない。どうせ家には人が居ないんだし、いつ帰っても……。
「……あれ」
 気が付くと、視界がぼやけていた。分からないうちに泣いていた―――
「変だな……悲しくなんて、ないのに……」
 それが強がりであることはまだ分からない。けど、次から次へと涙はあふれて、止まらなかった。
「やだな……どうしてだろ……」
体勢を崩して両手で目元をぬぐうも、とどまることを知らない涙はやがて嗚咽も漏らさせていく。
「うっ……ひっ……っく……」
 彼は涙を抑えようとするのに必死で、気づいていなかった。その体が揺れるたび、枝葉がざわめきを起こし、木の下に一人の少年を引き止めたことに。

「おーい! 誰か居るのかー!」


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