メトとレコ・第1話

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 いつもの様に学校へ登校して、いつもの様に猫人をからかって、いつもの様に遊んで、いつもの様に仕返しされて・・・ドギークラウン外れに住む犬人の少年、メトはそんな生活を送っていた。多くの犬人と同じように猫人を嫌う姿勢は、幼い頃から周りの影響を受けたもの。なまじ正義感が強いため、猫人は卑怯な種族、と認識している彼が、いつしか猫人と反目しあう仲になるのは誰の目から見ても明らかだっただろう。
 だからこそ、猫人が村長になったという出来事は、幼い彼に多大なショックを与えた。どうして卑怯者であるはずの猫人が村長に就くことが出来たのか? 猫人とは、悪い奴ではなかったのか?
 自分の価値観が根底から否定され、彼の心は2年経った今も迷いの只中にある。猫人は卑怯者であるか、ないか?

 その答えは―――彼自身が見つけることになる。

1.『出会い』


 宵の口……メトは学校からの帰途へついていた。まだ新学期――クラス替えをして――間もないが、新しい友達はいろいろと出来た。敬遠している猫人以外は。
 彼らと遊んでいるうちに日が傾き、結局帰る時間はこんな遅くなってしまったのだった。
「うぅー……ちょっと寒い、かな……」
 いかに春の陽気と言えども、流石に夜までは暖かくしてくれないわけで。パーカーのフードを被り、小川にかかった橋を一気に駆け抜ける。あと200メートルも走ればメトの家だ。このくらい走り続けるぐらいわけも無い・・・そう思っていたところに、彼を引き止める音が鳴った。

かさ……がさ

「ん?」
 耳を立て、身を翻して急停止するメト。風は吹いていないのに、確かに道脇の樹木から音が聞こえた。
「……何だろ?」
 不可思議に思って葉が生い茂ったその木を見上げてみる。
がさがさ……がさがさ
 薄闇が辺りを覆っているために殆ど分からないが、上の方に明らかに葉でも枝でもない影があった。時折影は動き、そのためにこの木が揺れ動き、音を立てているのだろう。
 こんな時間に誰が登ってるんだ?と好奇心が湧いたメトは影に向かって呼びかけることにした。
「おーい! 誰か居るのかー!」
「わにゃっ!?」
 メトの大声での呼びかけにびっくりしたのか、影はバランスを崩し、周りの枝葉が先ほどより一層騒がしく音を立てた。
「やばっ!?」
 落ちてくると瞬間的に理解したメトはとっさに影の方向に飛び、直後降って来るであろう体を受け止めようとする。
がさささ……どさっ! どたぁっ!
「うわぁっ!!」
「ひゃあっ!!」
 果たして予測どおり、滑り込んだメトの上には樹上の影が落ちてきた。何とかギリギリで腕の中に受け止めることは成功したものの、流石に体重と衝撃に体勢は崩れ、二人とも仰向きで倒れてしまう。
「あいっつつつ……ん?」
「はにゃぁ……」
 と、その時メトは自分の腕に抱きとめている人が何なのか、その匂いで理解した。猫人だ。
偶然にも自分は猫人を助けてしまったのだ。何となく、ばつが悪い。
「な、何だよ、猫人か……人騒がせな奴だなぁ」
「うー……?」
 相手は目を回しているようで、とりあえず手首をつかんで半ば無理やり立たせると、落ちてきた木に寄りかからせた。
 が、目が回っている彼はずるずると尻餅を着くかのように腰を落としてしまう。改めて見ると、どうやら自分と同じぐらいの年頃の子供らしく、自分が特に怪我が無い理由も手首をつかんだときに納得できた。体重は思ったよりも軽く、細かった。
「……」
 長い髪の毛を後ろに束ね、かろうじて男の子と分かる中性的な顔立ち、暗くて色はよく分からないがやや濃い緑色のハーフパンツにYシャツという出で立ち。なんとなく、可愛い。
「っと……相手は猫人じゃんか」
 一瞬よぎった考えをあわてて打ち消すメト。いつの間にか彼の顔を座り込んで見つめていたことに気づき、再びばつが悪くなって顔を少し遠ざける。
「ん……あれ?」
 ようやく意識が覚醒したらしい。少年は二、三度瞬きして自らの体を一通り確認すると、正面のメトに視線を合わせた。
「えと……助けてくれた、の?」
「おう」
「……どうも、ありがとう」
 猫人にいたずらはすることがあっても、まともに話などしたことの無いメトが多くを語るはずが無く、短く返してしまう。
 しかし、猫人の少年はちょっと照れたようにぺこりと頭を下げた。なんとなく、照れくさい。
「もしかして……メト君?」
 じーっと自分の顔を見つめていた少年が、急に自分の名前を当ててきた。びっくりして目深にかぶっていたフードを払い、少年の顔を見つめる。
「お前……俺の事知ってるのか?」
「知ってるも何も……同じクラスだよ?」
 何をいまさら、と言わんばかりの調子で少年は答えた。そういえば、フードのおかげでよく見えなかったが、この顔には見覚えがある。
「えっと……」
 記憶をたどってこの顔に当てはまる名前を探すも、それより早く、見かねた少年が口を開いた。
「僕はレコ。 レコ・テラニスだよ」
「あ、ああ……悪い」
 特に怒っているわけではなさそうだが、なんとなく謝ってしまった。猫人相手に素直に謝ったことの無い自分がこうまであっさり言葉を口にしたことに多少の驚きを覚えながら。
「よろしくね、メト君」
「あ……え?」
 異種族であるということを気にしないかのように、今まで木に寄りかかっていた背を起こし、レコは右手を差し出してきた。しかし、メトはその手を握ることを躊躇し、それに気づいたのか、少し寂しそうに手を下げてしまった
「……やっぱり猫人は嫌い?」
「それは……」

 分からない、とは言えなかった……いや、恥ずかしくて、言いたくなかった。自分の迷いを悟られるのは、嫌だった。

 夜の闇が深まっていく中でメトは貝のように口を閉ざし、それでも視線はそらさずに目の前の彼を見つめていた。寂しげな目だ……そう思った瞬間、いきなりレコがこちらに身を乗り出してメトの右腕を取った。
「な、何だよ……」
「怪我してる……」
 すこしびくりと反応した体を意に介さず、一言つぶやくとレコは自分の顔を右手に寄せ、舐める。瞬間、ざらっとした感触と鋭い痛みが走り、メトはうめき声を上げた。
「うっ……つう……」
「我慢して……」
 今までは先ほどレコを受け止めたときの衝撃で痛んでいるのかと思っていたが、そうではない。手の甲の辺りから血がにじんで、地面にも少し垂れていた。
 しかし、それは暗闇の中で黒ずんで見えるだけで、普通だったらメトの体毛とあいまって気づかないだろう。猫人の夜目が利くから気づいたのである。
「……っ」
 顔をしかめて痛みに耐える。そんな彼の視線の先で、レコが丁寧に傷口を舐めている。
「ん……ぷっ」
 傷口の血を吸い取ったレコは最後に地面に吐き出した。続いて胸ポケットから自分のハンカチを取り出して傷口に器用に結びつける。まるで傷口がはっきり見えているみたいだ。
「はい、できたよ」
「……どうして?」
 お礼よりも何よりも、先に出たのは疑問。短い時間に立て続けに起こったこの出来事は、猫人は犬人が嫌いと信じ込んでいるメトの頭に混乱を生じさせるには十分であった。
「どうして……って?」
「だって……お前ら猫人は犬人が嫌いなんだろ? それなのにどうして助けるような……」
 自分は嫌われてるんだから、助けられるわけがない……そう思っていたのに。
 しかしレコは何を言ってるの?と言うような表情をしたかと思うと、次に声を上げて笑いだした。
「あははは……! だったら君も、どうして僕を助けたの? 普通だったら木に登ってる犬人なんかいないでしょ?」
「それは……その、なんとなくだよなんとなく!」
 そう言われればそうだけど、まさか思いつかなかったとは言えない……ので、語気を荒げてごまかした。それに、恐らく分かっていても助けていたであろう自分がここに居る。
「でしょ? 僕も、何となく……嫌いだからって、傷ついてる人まで見捨てることはできないよ。 それに、僕は犬人嫌いじゃないしね」
 最後はぼそぼそ声で聞き取れなかったが、言いたいことは理解できた。
「……優しいんだな」
 本心からの言葉だ。今まで会った猫人とは違う……いや、彼らの優しい部分を見ようとしていなかったのだろうか。
 ふと、そんな思いがよぎった。
「メト君もね」
 ちょっとだけ恥ずかしそうに頬を掻き、屈託の無い笑顔をこちらに向ける。暗くてほとんど見えないんだけど、雰囲気で何となく分かった。
「……あ、ありがとな」
 今更、と言った感じだがメトはとりあえず治療のお礼のつもりで感謝を示した。
「ううん、こっちも助けてもらったから……あれ?」
「ん?」
 言ってる途中で何か引っかかったのか、レコは首をひねった。何か忘れているような気がして、少し今までの出来事を振り返ってみる。
「……そういえば、何で僕落ちたんだっけ? いつもだったらこんなことは無いのに……」
ドキ
 ぼそっと呟かれたその声にメトの耳がビクッと反応した。どうやら落ちる直前のことはよく覚えていないらしい。
さっきレコが落ちたのは……
(俺が呼びかけたから、だよなぁ、どう考えても)
ご名答。
「誰かに呼びかけられて、それでバランスをくずし……」
「あーあーあー! お、お前、家はどこだよ? 送って行ってやるからさ!」
 わざと大きな声を出してレコが記憶を手繰り寄せるのを妨害し、半ば強引にその腕を取る。
「わ、ちょっと!」
「いいからいいから!」
 レコの意見は完全に無視して、勢いで彼をずるずると引っ張っていく。自分の家の方向に。どうやらいきなりの行動にびっくりしたレコは、完全に落ちた原因を考えることを忘れたようで、ごまかしは成功したようだ。
「僕の家は、そっちじゃなくて……!」
「え? あ、そうなのか……」
 その言葉を聞いて、メトは動きを止め、つかんでいた腕を放して向き直った。まぁ自分の家の方向に連れて行こうとすれば他人の家につくわけも無く。お隣さんならまだしも。それにメトの家は、村はずれだから家もまばらだ。
「もう……僕の家は橋を渡って向こう側なの。 ちょっと遠いから、送ってもらわなくてもいいよ……」
 疲れきった表情でレコは肩を落とし、自分の家の方向を指し示す。つられてレコの指差した方向をメトは見る。点々とまばらに存在する街灯に照らされた向こうに家の影はほとんど無い。遠いと言うのは本当のようだ。
「分かった……それじゃあ、な」
「うん。 またね」
 バイバイと手を振って尻尾をふりふりレコは暗闇に一人駆けていく。途中一度だけこちらを振り返り、また手を振ったので合わせてメトも振って見送る。すぐに彼の姿は暗闇に紛れ、消えていった。それを見届けると、メトもまた家路へとつくのだった。



 それからものの2分もしないうちにメトは我が家に到着した。腹ペコの彼の食欲をそそるように、いい香りが中から漏れて来ている。早く家に入って夕食にありつきたい……
 ここまで遅く帰ってくることなんて、今日が初めてだし、いくら門限が緩めとはいえ、怒っているのではなかろうか……。メトはそんな考えに至り、家にこれ以上近づくことを躊躇してしまう。
「た、ただいま……」
 とりあえず鈍る足を踏み出し、おっかなびっくり玄関を開けて一声。靴を脱いで上がったところに、台所から母親が顔を出して迎えてくれた。
「お帰りなさいー。 今日は遅かったのねー」
「あー……う、うん」
 エプロンをつけたまま出てきた母親は、穏やかを絵に描いたような外見で、開いてるんだか閉じてるんだか分からないような目はのんびりというイメージをつけるには十分すぎた。その顔からはとりあえず怒りの色は見えなくて、ほっと胸をなでおろす。
「何かあったの?」
 怒ってはいないが当然心配はしていたようで、歯切れの悪いメトに何事か有ったのか尋ねる。
「うーん、ちょっと……お母さんって、猫人は嫌い?」
 何もなかった訳でもないけど、かといって今さっきの出来事をどういう風に話せばいいのか分からず、メトは少し悩んだ後、母親に質問を投げかけた。親も嫌っているのが当然と考え、今までにこの質問をしたことはない。
「え……? うーん……好きでも嫌いでもないわ。 どうかしたの?」
 今まで猫人の事なんて悪口ぐらいしか言ってこなかった息子が突然そんなことを尋ねてきて、意外に眉を曲げ、不思議に思いつつも母は答える。
「猫人ってみんな悪いわけじゃないのかな……って思って」
「それはそうねぇ……」
 息子が種族間の関係で悩むのは初めてだったから、メトの成長にちょっとだけ微笑み、家には無いハンカチがその手に巻いてあることに気づいても何も言わなかった。
「……」
「さ、ご飯にしましょう。 手を洗ってくる間に準備するから」
「はーい……」
 メトは考え込みながらも手洗い場に向かっていく。あの様子では、悩みに答えが出るのは時間がかかりそうだ。
「猫人……か。 あの人も今はどうしてるかしら……」
 ほぅ、と一つため息をつくと、母親は台所にまた引っ込んだ。



 夜……自室のベッドに転がり、天井を見上げつつ、メトはレコが巻いてくれたハンカチを視界に入れる。手の甲には母親が張ってくれた絆創膏があった。
「……レコって言ったよな、確か」
 教室で彼を何回か見かけているはずだが、思い浮かぶのは一人で本を読んでいる彼の後姿。存在感と言うものが著しく彼は薄い。よって、今日会ったわずかな時間で彼の人間像を判断するしかなかった・・・が、そこから導き出される答えは、従来の猫人に持つイメージではない。
「いい奴なのかも?」
 当然だが暗闇から答える声は無い。呟いたメトはハンカチを枕脇に置くと、目を閉じた。

お休み。

彼らが自分達の思っている以上の関係になることはまだ誰も知らない。


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