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サイドストーリー 昼休み、大抵の学生が昼食を済ませ、校庭でそれぞれに遊んでいる中、クィードはお腹をさすりながら学生食堂から出てきた。 「うーん、お腹いっぱい……」 満足気に緩んだ表情の彼は少しばかり身体を伸ばすと校舎の角を曲がり校庭を目指す。目的地はその端にある鉄棒。いつもつるんでいる二人が待っているはずだ。 「ああ、いるいる」 20メートルほど離れていようか、鉄棒の脇には見覚えのある人影がある。やはり真っ黒な毛並みが二人並んでいると遠目にも分かりやすい。 「よっ」 近づきながら両手を挙げると、こちらに気づいたのか、視線を向けたライルも軽く片手を上げる。その様子に釣られてか、鉄棒に寄りかかりながら別の方向を見ていたメトもこちらに顔を向けた。 「少し遅かったな」 「ちゃんと食べれたか?」 校舎に設置された大時計を見上げながら相変わらず皮肉っぽいライル。対照的にメトは食いっぱぐれなかったかを心配している。 「ま、混んでたから少しぐらいしょうがねえだろ。 それにしたって一緒に食べてくれたっていいじゃん」 「いや、だって早く行かないと人気のある奴なくなるし……」 「それに、俺たちは別にテストの成績は悪くなかったしな」 「ぐっ……」 実は、昼休み直前の授業にてテストがあり、そこで成績が悪かった者は昼休みの時間を削って補習させられていたのだが、クィードはそれに捕まってしまっていた。普段であればとっくにご飯など済ませ、彼もまた駆け回っていたであろうが、出来なかった理由がここにある。 「大体、ライルはともかくとして、メトが成績いいってどう言うことだよー。 お前この前までこっち側だったろー?」 返す言葉も無いので、仕方なく話題を摩り替える。普段であればこんな時二人で仲良く補習して、ライルを仲間はずれとからかうところなのだが、期待に反してメトは好成績。あえなく一人でお楽しみとなってしまった。 「う、うっさいな! 俺だってたまには勉強もするさ!」 一緒にするな、と言わんばかりに言い返すメト。少し慌てていたようにも見えるが、その一方で意地悪い笑みを浮かべているライルの方が目に入った。 「……努力の結果ってわけだ。 めんどくせー、こんなのやってらんねーって言ってた誰かさんとは違うみたいだな」 「ほー……それは誰の話だろうな」 「ホントにな」 人を小ばかにしたわざとらしい物言いに、クィードはわざととぼけた反応で返す。和やかそうな話の運びとは裏腹に、その笑みは引きつっており、視線の間からは火花が見えそうだ。 「ほーら、そこまでそこまで。 大体何か、大事な話があるんじゃなかったっけ?」 「はいはい、っと」 「あ、あー……そうだった」 そんな火に水をかけるかのように、呆れ顔でメトが割って入る。ぽんぽんと両者の肩を叩いて首を振るそんな姿に、本題を思い出し、しぶしぶと引っ込むクィードだが、ライルは肩をすくめてそ知らぬ顔をしているのがまた気に障る。 「で、何の話さ?」 「えーっとな……」 わざわざ遊ばずに話があると呼び出したは良いが、正直どう言っていいのか分からない。無論別段重要な話題と言うわけでもないが……笑われないか、からかわれたりしないか少し心配で、気がつけばうつむきながら地面をがつがつと蹴っていた。 「なんだ、そんな話しづらい事なのか?」 「……」 先ほどの様子とは対照的に、心配そうな顔をしてこちらを覗き込もうとするライル。メトは無言ではあるが、同じ気持ちなのか、心なしか不安そうな顔だ。 「あ、あのさ」 いざ話そうとして、胸が高鳴るのを感じる。かと言ってここで話さないと言うのも心配してくれている二人に悪い。意を決してクィードは言葉を続けた。 「お、お前らはそ、その好きな人って居るか?」 思い切ったつもりだが、その声は自分でも驚くぐらいに小さく、二人に届いたかどうか怪しい。現に正面の二人は顔を見合わせてキョトンとしている。 「……なんだって?」 「俺も聞こえなかった」 首を傾げるライルと、横に振るメト。純粋に聞こえてないらしく、その目にからかいの色は見えない。勇気を振り絞った発言だったのに、二人には届いていないことを知ると、急に顔に熱が集まってくるのを感じた。 「だ、だからっ! お前らに好きな人は居るかって聞いてんだよ!」 気恥ずかしさに任せて口が滑った結果、今度は驚くほどの大声が校庭に響き渡る。『あ』、と思った頃には時既に遅し、明らかに静けさの増した校庭の至る所から自分への視線が送られていた。 「え、と」 「……」 呆気にとられて目を見開いたままのメトと、天を仰ぎ見るかのように顔を上に向け、手で半分を覆い隠しているライル。どちらも当然といえば当然の反応であった。 「な、何だよ……別に悪いこと言ったわけじゃ……んぐ!?」 「しゃべるな」 「……場所、変えるか」 恥ずかしさをごまかすように開き直ろうとしたが、すぐさま黒髪の犬人に口をふさがれる。メトはそんな様子にため息を付くと、ポツリとつぶやきを漏らした。確かにそれには賛成だ。 「いいだろ?」 「……」 大丈夫か、とでも言いたげに彼はこちらの顔を覗き込んでくるが、相変わらず口はふさがれたままなので、こくこくと大きくうなずいて自分の意思を示す。ついでにライルの腕を叩き、口元を開放するようアピールも忘れずに。 「よし、じゃあ行こうか」 「……ああ」 「ぷはっ……どこに行くんだ?」 彼はメトに対して軽く頷くと、ようやくこちらから手を離した。もちろん、『悪い』の一言も無く無表情だ。だがそれにも慣れたもので、改めて空気を吸い込みながらクィードは尋ねる。 「あそこ」 「あそこ? って、おい待てよ!」 と、だけ言われても分からないのだが、メトはそれ以上説明しようともせず歩き出してしまった。彼にしては不親切だなとは思いつつも、クィードはその後を追う。 (どこに行くんだ?) だが、その道筋と方向には覚えがあった。校舎の裏、道具倉庫の脇から入る林の中、それは自分達がよく知っている場所。 「ここか……」 鬱蒼と茂る林の中にぽっかりと広がる空間。それは自分達猫人を嫌うグループが集まる時に使われる場所であった。周りは静寂そのもので、校庭からの賑やかな声などは殆ど聞こえない。 「まあ、ここならあんまり人が来ないだろ?」 「確かにな」 (ああ、それで……) 頷くライルの横で、クィードは別のことに納得していた。彼が先ほどそっけなく返事をしたのは、この場所を聞かれたくなかったからなのだと、合点がいった。しかし、そうでなくても恥ずかしい話ではあるから行き先など明かしたくも無いが。 「さて、と」 「ん?」 「話を聞かせてもらおうか」 「あ、ああ」 いつの間にか二人ともこちらの顔を覗き込んでいる。てっきりこんな話嫌がるかとも思ったが、心配していたほどではなくて安心する。 (と言うかなんか期待してる?) 明らかに目を輝かせてこちらを期待に溢れた眼差しで見つめているメト。ライルは彼ほどではないにせよ、いつも興味の無い素振りをしている時から比べれば明らかに食いつきがいい。 「いや、その……お前らに好きな人って居るかって、さっきの通り聞きたいだけなんだけど」 「いない」 「居ない」 首も振らず、目も逸らさず、即答する二人。その反応からするに本当に居ないようだ。 「そ、そうなのか……」 これでは期待する答えなど聞けそうにも無いなと、残念な気分でクィードはため息をつく。周りの犬人にはそう言う会話で盛り上がってるのもたまに見かけるけれど、それよりは気心の知れた二人の方に聞きたかったのだが。 「お前は?」 「あー……」 そんな肩を落とす彼に、ライルが突っ込んでくる。当然、そう聞かれるとは思っていたけれど、何か自分だけ喋るのも損な気がして話そうとは思えない。 「俺も、居な……」 「嘘つけ」 「嘘だな」 「ちょ! 反応はええよ!」 言いかけだというのに今度は即否定される。自分でこんな話を振っておいて、その答えがこれでは信じられるとは思って無かったけれど。 「だってあからさまにうそ臭いし」 「なぁ?」 「そうかよ……全く、お前らは仲が良いのか悪いのか……」 普段いがみ合う様子からは思い浮かばないほどに息を合わせ、二人はうんうんと頷きあう。肩をすくめて首を振ると、再び深いため息が出てきた。 「で、誰だ?」 「……別にいいだろ、誰だってよ」 「ケチ」 「はいはいケチですよー」 一言文句を言って口を尖らせるのはメトだ。しかしそう言われたとしても言いたくない物は仕方が無い。目をキラキラさせて食い下がってくる彼をしっしと手で払う。 「サリナか? それともノイか?」 「いや、アルタかも」 「あの太っちょをか! ふかふかはすごそうだけどなぁ!」 かと思えばライルの言葉に食いつき、話の中心であるはずの自分を差し置いて二人だけで盛り上がっている。別にその適当な予想が当たっているわけではないが、なんだか笑いものにされているようで嫌な気分だ。 「勝手に想像するんじゃねーよ! 前の二人は分かるとして、最後はなんだよ!?」 前二人はそれぞれ可愛いとクラス内外でも評判だが、最後のアルタは別の意味で有名である。それはもう、ライルの言葉からも分かるとおり悪い意味で。 「だってお前ら家近所だろ?」 「たまに一緒に帰ってるじゃん」 「それはまぁ……そうだけど」 更に悪いことに、家が隣と言うこともあって幼馴染だ。ついでに、一緒に帰ると言うのも本当。だからと言って別に好きと言うわけでもなく、むしろ最近は鬱陶しく思っているほどだ。 「さすがに、あいつはなぁ……」 脳内で幼馴染の姿を思い描くも、すぐに首を振って打ち消す。それならもう少し、その巨体を何とかしろと言いたいところだ。 「でも優しいし、滅多に怒らないし、いい子だよな」 「えっ?」 言いよどんでいると、意外なことにメトが彼女をフォローしてきた。てっきり余計にからかわれるんじゃないかと思っていたから余計に驚きである。 「それについては否定しないが、あの外見はどうなんだ?」 「あれはあれで愛嬌があるんじゃないか? 確かに太ってはいるけど……」 メトの一声にライルは腕組みしながら首を捻るが、彼は特にバカにする様子も無く更に持ち上げる。逆にそれはある疑念をクィードの中に生じさせた。 「え、まさかお前……アルタのこと好きなのか?」 「いや別に?」 「……」 もしや、と思った問いかけだったがメトは「何だそれ?」と言わんばかりに軽く首を振って否定する。たった一言だがその答えを不思議と疑う気はしない。 「でも」 「どした?」 「何か、お前……変わった?」 代わりに発生したのは、違和感。それまでの彼とは何か違う、何かが変わっていると頭の中が告げている。 「変わったって……何が?」 「……何か、何かだよ。 よく、わかんねえ」 しかし、何が違うのまでは分からない。小首を傾げて聞き返す本人の前で、自身もまた首を捻った。 「なんだよそれ、話を逸らそうとしてるんじゃないのかー?」 明確に言い表せない事に呆れたのか、目を細めたメトが意地悪そうな声を上げる。 「ちげえよ! 何か、本当に変わったって!」 「しかし説明できなきゃ信用できないよな?」 「う……そりゃ、そうだけど……」 イラっとして声を荒げた所に、それまでうつむいて黙っていたライルが口を挟んできた。確かに彼の言うとおりだが、説明しようにもどう話せばいいのか分からない。 「いいから言っちゃえ言っちゃえ」 「……何をだよ」 「す・き・な・ひ・と」 そんな気持ちは露知らず、メトはニヤニヤした顔を眼前に持ってきて、一言一言区切りながら主題をわざとらしく強調する。その表情は意地が悪い、と言うよりは気持ち悪い。しかも覗き込むように頭部を左右に揺らすのがことさらにイライラを煽り立てる。 「お前なあ……!」 「言ったらお前が欲しがってたあのカードやるよ」 「カード……? あっ……!」 頬が引きつるのを我慢できなくなってきた矢先、提示された条件。目に見えるものではないが、『それ』が何を指し示すのか、クィードには分かった。分かってしまった。 「さすがに毎日欲しい欲しいと言っているだけあって察しが早い……そう、『電脳防衛戦士サイバネオン』のキラカード……主人公の次に乗るロボさ!」 『電脳防衛戦士サイバネオン』とは子供達の間で流行っている、人気のロボットアニメである。勿論その人気はクィードをも取り込んでおり、行きがけの駄菓子屋で帰りに一度ずつ作品のカードを引いていくことが彼の日常だ。 「くっ……お前、いつの間にそれを……!」 しかしながらメトの言うそれは、何度やっても手に入ったことの無い代物で、今のクィードには喉から手が出るほど欲しい一品である。当然、それを提示された今、動揺しないわけが無かった。 「この前、たまたま買ったら当たっちゃった」 「へえ……1発で引いたのか……すごいな」 その強運に驚いてか、冷静なライルも感嘆の声を上げる。普段こう言うアニメの話題は子供っぽいとか文句を言う割には食いつきがいい。付き合いがいい、と言うべきなのだろうか。 「んでも、俺んちはテレビの映りが悪くてよく見れないし、一枚だけあっても仕方ないからさ……」 少し残念そうに笑うメト。普通の子供なら『絶対あげない!』と強い執着心を見せるところだが、彼は話題についていけないがゆえにその関心も薄いらしい。 「でも、いいのか……? キチョーな奴だろ?」 「ああ、別にいいよ。 ただし……」 「?」 何のためらいも見せず、朗らかな笑顔で即答したメト。しかし、次の瞬間には口の端が吊り上がり、意地の悪い笑顔へと変化する。 「好きな人を言えばな」 「うっ……ぐぐっ……!」 目の前にちらつくのは、クィードにとって余りにも魅力的なエサ。しかし、それゆえに心は揺れ動き、苦虫を噛み潰したかのように眉間にしわを寄せる。確かに好きな人を言うのは恥ずかしい、だがそれを言いさえすれば今まで手に入らなかったものが手に入るのだ。 (でも、本当に言っていいのか……!?) 「別にバカになんかしないって」 と、メトは言うが、先ほどからの意地悪な笑みを見せられては、おいそれと信用できるものではない。もちろん、だからと言って抵抗しきれるわけでもないのは既にクィードも分かっている。 「本当に、くれるんだろうな?」 「うん」 「分かった……」 ただ、カードをくれると言ってくれたその笑顔は、いつものそれと同じに見えて、信じてみたくなった。すごく勇気のいる決断だったけれど。すぅっと一つ息を吸い込むと、その重い口を開く。 「委員長、だ……」 「……え?」 「委員長って……まさか、ケイミィの事か?」 二人とも自分の耳が信じられないのかまさか、と言う表情をしている。それも無理のない事だと、クィード自身もよく分かっている。クラスの委員長であると言えば聞こえはいいが、情動が大きく、すぐに泣き出すために周りの人間はなだめるのにとても苦労させられているのだ。 「……うん」 「あ、そ、そうなんだ……」 「ま、まぁ……なんだ、人を好きになるのに貴賎は無い……うん」 (キセン?) もちろんここの3人もその『被害』に遭ったことがある。思い出しているのか、フォローしつつもライルはしかめっ面だ。その言葉の意味はよく分からないが。 「しかし、委員長とは意外だな……普段キーキーうるせぇとか言ってるのに……」 そう、そうなのだ。最近までは、メトの言うとおり、うるさい奴としか思っていなかったのだ。しかし―― 「……しょうがないだろ、好きになっちまったもんは……」 と、しか言いようが無い。 「アレで、人気あるもんな……」 ただし、それは女子として、と言う意味ではなく、愛玩動物的な可愛さという意味である。彼女の体格は小型種ゆえに高学年の現在に至っても低学年のそれと同じであり、ちょこちょこ動く姿が可愛いと、皆に愛でられている。当の本人はそう言う扱いを嫌がっているが。 「はぁ……で、どこが好きになったんだ?」 「どこが、って……そんなの、よく分かんねぇよ」 溜め息をつきながら首を振り、ライルが聞いてきた。その様子には、『なんであんなのを?』と言う態度がありありと表れている。少しイラっと来たが、実際自分でもそう思うのだから仕方が無い。 「じゃあ、何で好きになったんだ? きっかけとかあるんだろ?」 「あ、ああ、まぁ」 対するメトはメトで、目を輝かせているのは先ほどから変わらず。好きな人自体はともかく、『好きな人の話』に興味津々なようだ。 「と言っても、そんな期待するほどの話じゃないんだけどさ……」 そう前置きをするのは、本当に別になんでもないことから始まった気持ちだから。 「俺がいつも行ってる駄菓子屋、分かるだろ?」 「うんうん」 改めて言うまでも無いところなのだが、二人は特に気にせずこくりと頷いている。 「あそこでさ、この前委員長と会ったんだよ……。 女の子ってさ、ああいう場所にあんまり来ないからビックリしたんだけど……」 「あそこに委員長が居る、ってあまり想像できるもんじゃないな」 「だろ? 思わず俺も声かけちゃった。 そしたら、前から入ってみたかったっぽくてさ、どのお菓子がおいしいかとか聞かれて……」 その日のことを思い起こすと、顔に熱が集まってくるのを感じる。自分で『なんでもない話』と思っているはずなのに。 「んで、オススメを教えたわけか」 「ああ、教えなかったら泣きそうだったし……それに」 「それに?」 「いや、今のお前みたいに、期待でキラキラさせてたからさ」 先を促すメトの瞳は、あの時見たケイミィのそれと同じ類の物。それを思い出したクィードは、思わず苦笑を漏らしていた。 「う、うーん……そ、そんなに俺、キラキラしてる?」 「ああ、まぁ、そうだな」 彼女と一緒なのが気になるのか、メトは後ろを振り向きライルに問いかける。問われる方もそう見えているのだろう、小さく笑いながら頷いた。 (ライルも人の事言えないと思うけどな) とりあえず、この呟きは心の中にしまいこんでおく。 「で、ビニールの管の……なんかゼリーみたいなのあるじゃん? それ、両手で持って吸い始めたんだけど、その姿が……なんか、その……」 改めて言葉にして説明しろ、と言うのも中々気恥ずかしい物で、段々とうつむいて地面に視線を落としてしまう。 「可愛かった?」 「……うん、何か、な」 心中を察してくれたのか、補うようにメトが口を開いた。恥ずかしさのあまり、そんな何気ない言葉ですら言えなくなっていたクィードにはとてもありがたい。 「それに食べ終わったらさ、『ありがとう』って言われてさ……」 脳裏に浮かぶのは、彼女の笑顔。満面の笑みを浮かべ、上目遣いにこちらを見るその姿―――思い出しているだけだというのに、ドキドキする。 「その笑顔に心を奪われたんだな」 「う……うー……そうだよ、悪いか!」 そんな甘い思い出に浸りかけたところを現実に引き戻す、ライルの一言。図星だし、そう言う話だからそのまま頷いてしまってもいいのだが、怒鳴るように吐き出してしまう。 「いや、別に……」 「落ち着けよ、馬鹿にしてるわけじゃないって……」 「あ、わ、悪い」 怒鳴られたのが意外だったのか、彼は目をぱちぱちとさせていて、例の意地悪な笑みは見られない。メトに言われてその事に初めて気付いた。 「それで、どうなったんだ?」 「何か、お礼言われたらそのまま帰っちゃった」 食べ終えたと思えばすぐさま店から出て行く、そんなせわしない動きの彼女の背中が、その日の思い出の最後だ。 「……それだけ?」 「それだけ」 「えぇー……」 先を促されても、それ以上出しようがない。あからさまに不満そうな声を上げるメトだが、一体どんな物を期待していたのだろうか。 (大体、もし『ちゅー』とかなんとかしてたら言うわけないだろ……) 考えるだけでもその行為は恥ずかしくて、顔が熱くなるというのに。耳が赤く見えないか心配だ。 「最初からそんな期待するほどの話じゃないって言ってただろ?」 「そうだけどさ……もっと、こう、ドラマチックな事が有ったのかと思った」 それほどライルは期待していなかったのか、がっかりしているメトを尻目にやれやれと肩をすくめている。話に食いついていた割にはこちらは冷静で助かった。 「……テレビじゃねえんだよ全く」 呆れながら頭をかいていると、メトが深い溜め息をついた。今溜め息をつきたいのはむしろこっちの方である。 「とーりーあーえーず! それで好きになっちまったんだ。 ここまではいいか?」 「ああ」 「う、うん」 いつまでもぐだぐだとやっているわけには行かないし、次の話を進めたい。開き直って大きな声を出すと、二人は頷きを返した。いまだメトには未練があるようだが。 「で、だ……どうしたらいいかな?」 「は?」 「どうしたら……って?」 余りにも漠然とした問いに、二人とも首をかしげている。自分だって、同じ状況で同じ問いかけをされたら、首を傾げるだろう。 「気持ちは、その、確かだと思うんだけど……どうすればいいのか、分かんなくって、な」 「んー……まずは仲良くなるようにすれば良いんじゃないか?」 「それは、そうなんだけどさ」 ライルから返って来た答えは、当然といえば当然なもの。クィード自身その事は分かっている。ただしそれは、二人の関係だけに絞って見た場合だ。 「仲良くして、いいのか?」 「……」 「えぇ?」 だが、それ以前の不安が頭の中には付きまとう。メトは理解できない、と言う風に声を上げたが、もう片方の犬人はその不安を察したのかピクリと耳を動かした。 「委員長って、誰とでも普通に話すじゃん。 イヌもネコも関係なく、さ」 その範囲は文字通り『誰とでも』。クラスのみならず、村全体に言える事だが、違う種族を嫌う者、違う種族とも仲良くしようとする者、この二通りの人間が殆どだ。 「だからか、クラスの中でも浮いている」 その価値観に寄ることなく話す彼女は、周囲から不思議な目で見られている。つまるところ、ライルの言うように浮いているのだ。 「……でもそれって、何か悪いのか?」 分からない、と言う風にメトは首を傾げるが、クィードにとってはそう言う彼こそが分からない。 「わかんないか? 委員長と仲良くしたら、猫人とも同じように話さなきゃならねえだろ」 「そしてそう言う付き合いをしてたら、俺たちの中には居られなくなる」 ライルの言うとおり、そんな付き合いは自分の身に危ない。そもそも猫人とつるむなんて、自分には考えられないのだから有り得ない話である。 「あ……ああ、そうか。 でもそれじゃあ最初っから上手くいかないんじゃないのか?」 「うぐ……た、確かに……だからどうすればいいかと……」 少しばかりうろたえて見えたメトだったが、その返答は的を射ている。ぐさりと胸に突き刺さるその難題があるからこそ、クィードは仲間内に聞きたかった。 「諦めろ」 「んがっ!?」 の、だが放たれるのは余りにも冷たい一言。勿論言ったのはライルだ。大口を開けて驚く自分の目の前で、どうせ彼は意地悪い笑みを浮かべているのだろう。 「どうせ猫人と、仲良くできるはずもないし、それまでの友人を捨てることも出来ないだろ」 予想とは裏腹に、彼は冷たい調子のまま淡々と事実を述べる。その表情は硬く、いつになく真面目な様子だ。 「……確かに、そうだけどさ……でも……」 言い返そうとしても、何も言葉は出てこない。それが真実である事はよく知っているから。いつものような小ばかにした顔だったらすぐさま感情にまかせて言い返していたところなのに。 「同じ、犬人なのに……?」 「……同じ犬人でも」 「そう、なのか」 悲しそうに眉を曲げるメトの声にも、重々しくライルは頷いた。そこまではっきりと言えるのは何故なのか、と問う事も無く、銀髪の彼はゆっくりと首を振る。理由は、二人とも知っているから。 「……」 「……」 「……」 話は、そこまでだった。誰もが口を閉ざしてしまい、先ほどまでのじゃれあうような空気はもうない。静まり返った空間で、木々のざわめきだけがやけに大きく聞こえる。 キーンコーンカーンコーン…… 「あ……」 そんな静寂の時間を破って、校舎の方から授業時間を知らせる鐘の音が聞こえてきた。いつもだったらわずらわしい予鈴も、今は少しありがたい。 「行こうぜ」 「……うん」 「ああ」 短く言葉を交わすと、3人ともゆっくりと校舎に向かって歩き出した。その足取りは一様に重く、とても楽しい昼休みの後とは思えない。 (どうすればいいんだろ……) もちろん、クィードはこれからのことを思い悩んでいるわけだが、簡単に答えは出そうに無い。 (やっぱり、あいつの言うようにあきらめるしかないのかなー……) 半ば分かって居た事でもあるし、仕方ないだろうと思いかけたその時、 「早くしないと遅れるよー!」 甲高い声が昇降口の方向から聞こえる。悩んでいる間にいつの間にか校舎の表側まで来ていたようだ。 「ほら、3人とも早く早く!」 そこまで言われて、その声が自分達に向けられている物だと気付く。声を追った視線の先には自分達の学年の昇降口があるわけだが、その前に立っているのは、同年代とは思えないほど小さな少女。 「委員長?」 「ホントだ、いつもなら教室で待ってるのに」 「噂をすれば何とやら……って奴か」 「急いで急いで!」 促されるまま、3人とも駆け足で昇降口へと飛び込んでいく。入ってきた自分達を見ると、委員長ことケイミィは教室とは反対の方向を指差した。 「次移動教室でしょ? 早くしないと遅れるよ!」 「あ……やっべ!」 「うわ、忘れてた」 「……急ぐぞ」 言われるまで次の授業が何なのかなどすっかり忘れていた。それは二人も同じなようで、 すぐさま階段の方向に振り返ると、階上の教室へと駆け出していく。 ―――こちらの事は完全に放置して。 「はっや……」 「クィード君も急がないと! もう皆行ってるから!」 呆然と呟く自分を尻目に、委員長はちょこちょこと廊下を走りだす。さっきの二人とは反対の方向だ。 「あ、ああ、そうだけど……」 言葉どおりに、周りを行き交う人はほとんど居ない。授業の直前に廊下を行き交う人々は、皆それぞれの場所へと行ってしまったのだろう。当然、自分も動かないといけないのは分かっている、分かってはいるけれど足は走っていく少女を向いたまま動かない。 (まぁ、いいか) 数秒考えた後、クィードは授業を諦めて、遠ざかる小さな背を追うことにした。もちろん、走っていようが彼女に追いつく事など簡単だ。 「委員長」 「あれっ? クィード君? 教科書は?」 すぐさま横に並んできた自分を見て、彼女は驚きの声を上げた。もちろん、こんな短時間で持って来れるわけも無く、頭を振る。 「持って来てない」 「ダメだよちゃんと持ってこなくちゃ! あ、でも今からじゃ間に合わないか……」 「だろ? わざわざ遅れるよりは、間に合った方がマシ」 まぁ、元々は次の事を忘れていた自分自身が悪いのだが。そこは棚に上げたままにしておこう。今はただ、このすごく短い時間の中でだけでも、二人でいたい。友人を放置してまで、こちらを選んだのだから。 「……なあ」 「なに? クィード君?」 「えっと、その……ありがとな。 言われなかったら気がつかなかった」 たまたま彼女が近くを通って、たまたまその目に入ったから、3人は辛うじて次の授業に気付く事が出来た。もちろん、普段だったら分かっていて当たり前で、お節介だと思ったりはしてもお礼を言う事は無いだろう。 「うん、次は気をつけてね」 「おう、任せとけ」 「調子いいんだから、もう」 歯を見せてニッと笑うと、釣られたようにケイミィは吹き出した。あの時に見せてもらった笑顔と同じ、満面の笑み。 (やっぱ、そう簡単に諦めれねぇよなぁ……) 見たかったはずの彼女の笑顔を見ながら、複雑な思いが心をよぎる。後ろから走り寄って来る音を聞きながら、クィードは悩ましげに目を細めるのであった。 おわり |
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