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サイドストーリー 放課後、日も落ち始め、そろそろオレンジ色の光が教室内に満ちようとしている。授業も終わって嬉々として外で遊ぶ者も居れば、暑さが嫌で教室内で駄弁る者も居る。 今日のライルは、後者だった。しかし、頬杖をついている彼の姿は心ここにあらずと言った感じで、会話にも生返事でしか答えていない。 (どうしてなんだ?) どうして、とは周りの人間の態度である。メトがグループを抜けてしまったと言うのに、誰一人それを話題に出さず、笑いあっている。ライルにはそれが信じられなかった。 (こいつらにとって、メトはどうでもいい存在だったのか?) 「今日の宿題どうするー?」 「めんどくさー」 「誰かに見せてもらおうぜ」 そう思うと、急激に彼らのやり取りが白々しく、不快な物に見えてくる。これ以上この場に居たくなくて、席を立つ。 「ライル?」 「……帰る」 「あ、っちょ……おい、待てよ!」 短く告げると、肩掛けカバンを持って出口へと歩き出す。クィードが慌てて追いかけようとしているが、気にも留めずそのままドアを開けた。今はこの空間から一刻も早く出て行きたかった。 「ライルー!」 周りの誰から見ても早足で廊下を歩いていく自分に、追いすがる声。誰が来てるのかは考えるまでも無いが、立ち止まって顔だけ後ろに向けた。 「どうしたんだよ、いきなり……」 「ちょっと、な」 少し心配そうな顔を向けるクィードに、本当のことを話せるはずもなく、言葉を濁すとライルは顔を戻した。首をかしげながらも、赤毛の少年は黙って肩を並べて歩き出す。 「……」 「なんか、最近変だぞ?」 「……変?」 変だと言われる理由が分からなくて、思わず聞き返してしまった。ライルとしては、メトが居なくなっても特に気にかける様子も無い他人の方が変なのだが。 「そうだよ、お前最近誰とも喋ろうとしないし、遊ぼうともしないじゃん。 調子でも悪いのか?」 茶化すような調子だが、心配はしているのだろう。普段であればそんなことはないと笑って返すところだが、今はとてもそんな気にはなれなかった。 「お前は、なんとも思わないのか?」 「へっ? 何が?」 逆に問い返されて、目をぱちくりさせるクィード。その能天気とも取れるきょとんとした顔にかすかな苛立ちを感じながらも、もう一度問う。 「……メトのこと、なんとも思わないのか?」 「……!」 その話題が出てくるとは予想してなかったのか、彼は驚きに目を丸くする。しかし、その表情はすぐさま不快なものへと変わると、吐き捨てるように言葉が飛び出してきた。 「あんな奴、もう友達でもなんでもないだろ」 口ではそう言いながらも、メトが追放された時のことを思い出したのか、気まずそうにそっぽを向いてしまう。 「後悔、してるのか?」 少なからず、メトのことを想っているのだろうか?そんな淡い期待を抱いた問いかけ。もしかしたら、この複雑な気持ちを、共有出来るかも知れない、そう思った。 「誰が! するんだったらあいつの方だろ!?」 しかし、期待とは裏腹に何を言っているんだとばかりにクィードは怒鳴って返す。 「そう、か……」 失望と悲しみに目を細めながらも、ライルはそれ以上怖くて問えなかった。もし問いただしたら、もっと落胆する気がして。 会話もなく、ただ並んで歩くだけの二人は程なく使用している昇降口に着いた。帰る人が集中する時刻とずれているため殆ど人影は見当たらなかったが――― 「あっ……」 自分達の割り当てられた場所の近くには、見覚えのある猫人が居た。オレンジ色の毛並みに、透き通るような青い瞳、数日前一緒にメトを助けた彼の名前は、レコ。こちらの姿を見て、声をかけようとしたようだが、後ろに控えるクィードに気づいたのか、すぐに目をそらして足早に去っていく。片手に本を持っていたのは、図書室の帰りだったのだろうか。 「アレって確か、メトの友達だっけ……」 「……ああ、そうだな」 「あいつさえ、居なければ……」 「……そうだな」 去っていった彼の後姿を憎憎しげに睨み付けるクィード。その呪うように吐き出された言葉にうなずきながらも、ライルは疑問に思う。 (あいつが居なかったらメトは、本当に俺達と一緒に居たのか?) 彼は、猫人と犬人の関係に思い悩んでいたからこそ、レコと友達になったのだろう。であれば、そんな心の状態でずっと一緒に居れたはずが無いのでは――― (よそう、考えるだけ無駄だ) 「じゃあ、ぶん殴るか」 「……何?」 思考を中断すると、いきなり意外な言葉が耳に入ってきた。さも当然、と言わんばかりの口調に思わず聞き返してしまう。既に彼は靴を履き替えていて、同意したら今すぐにでも走っていきそうだ。 「だって、ムカつくだろ? あいつのせいでメトは居なくなったんだぜ?」 「止めろ。 そんなことしたって奴は戻ってこない」 「だけど!」 止めようとそのいきり立つ肩に手を置くが、彼は身を翻してこちらを睨んできた。 「お前言ったよな、『友達でもなんでもない』って。 だったらそんな奴の『友達』だってなんでもないんじゃないのか? 放っておけよ」 その勢いに負けぬよう、こちらもクィードの両肩を掴むと、まっすぐその目を見据える。その本心は、メトをこれ以上追い詰めたくないからなのだが。 「だけどほんの少し前までは友達だっただろ!」 「クィード……」 ずきり。 怒りと共にあふれた彼の本音の一部に、思わず心が痛む。クィードは『友達でもなんでもない』なんて絶対に思っていない。 「離せよっ! お前がやらないなら俺がやるっ!」 「うっ! お、おい! クィード!」 今にも噛み付かんばかりの勢いの彼に突き飛ばされ、手の力を緩めていたライルは尻餅をついてしまった。しかしクィードは省みることなく、全力で外に飛び出していく。こちらの声などまるで聞こえていないみたいだ。 「バカ……アイツを殴ったところで何になるんだよ……」 パンパンと尻の汚れを手で払い、尻尾を振り回すと、その後を追ってライルも駆け出した。あの二人が出会う前にどうしても止めなければならない。 「……」 それだけのことに意識が行っている彼が、昇降口の影にたたずむニルバに気が付かなかったのも仕方が無いだろう。 クィードの背中は、校門を越えた辺りで見えなくなったが、特に大声を上げていない辺り、まだレコは見つかっては居ないようだ。一足遅れで校門を過ぎると、左右を見渡し彼の姿を探す。 右の遠くには街のほうへ去っていくバスが見える。そしてその姿を見送るように立ち尽くしている赤毛の少年の姿。 「クィード!」 「行っちまったよ……クソッ!」 悔しそうに呟いて、彼は近くの地面を蹴り上げた。傍らに転がっていた小石が土ぼこりと共に草むらへと飛んでいく。 「落ち着けって……」 「うるせぇよ!」 「あ……」 背中をこちらに向けたまま、怒鳴り声を返してくるクィード。怒りによるものか、その肩は小刻みに震えていて、どう声をかけたものか分からず、伸ばしかけたライルの手は、力なく垂れ下がった。 (結局、俺は何も出来ないのか? メトにも、クィードにも……) あの時はメトをどう助ければいいのか分からなかった。そして今も、クィードの怒りがどうすれば収まるのかも分からない。無力感に包まれながら、立ち尽くす彼に背を向けようとした時 「なぁ」 「……何だ?」 トーンの落ちた声がこちらを呼び止める。振り向けば、先程の怒りの表情とは打って変わって、今にも泣きそうな顔があった。 「どうすれば、メトは戻ってくるのかな?」 「……」 予想外の言葉に眼を見開きながらも、ああ、とそこでようやくライルは思い至った。彼があんなにも怒る理由を。 (こいつはこいつで、メトのこと想っているんだな) いつものように意地を張って、表に出さないようにしてきたのかもしれない。 「戻ってきて、欲しいのか?」 「……うん」 確かめるように聞き返す言葉に、少しためらったが、素直にこくりと頷くクィード。まるで別人のようなしおらしさにふっと口元が緩むのを感じる。それ以上に、メトを想っている人間が自分だけではないと言う嬉しさもあるのだが。 「俺もだ」 「ライル……!」 その言葉に同意した途端に、赤毛の犬人はぱぁっと眼を輝かせ笑顔を見せる。尻尾を左右に揺らしているところを見ると、本当に嬉しそうだ。 「でもな、あいつは戻って来れない」 「……猫人と友達だからな。 だから……」 「あの猫人を叩きのめせば戻ってくると?」 「ああ」 (……本気かこいつ?) 当然のように首を縦に振る彼を見て、その単純な思考に苛立ちを感じる。まさか本当にそんなことを思っているとは思いもしなかったが、単純思考な彼らしいといえば彼らしい。 「そんなことして戻ってくるわけないだろ」 「どうしてだよ……あの猫野郎がそれで友達やめたら戻ってこれるはずじゃないのか?」 どうやったらそう単純に物を考えることが出来るのか、逆にこちらのほうが聞きたいのだが。 「クィード……よく考えろ。 もし猫人が俺を叩きのめしたら、お前は俺と友達やめるのか?」 呆れてため息をつきながら、わかりやすいように自分達に例えて話すライル。深く考えられないのはきっとずっと怒っていたせいなのだと思うことにした。 「やめないな、それは」 「それと同じさ」 即座に首を振るクィードだったが、それとメトらが同じ事だと気づくと、あごに手を当てて考え込んでしまった。 「『裏切れない』、って言ってたしな」 「覚えてるんじゃないか」 「おう」 裏切れない―――確かにメトはそう言った。そしてそれに一番怒りを露にしたのは、紛れも無いクィードである。覚えているとは少しばかり意外だったが、馬鹿にするのはやめておく。 「じゃあ、どうすれば戻って来れるんだ?」 「さぁ、な……」 疑問の声を上げる彼に、首を横に振って答える。正直、今の状態でどうすればいいかなんて、分からない。けれど一つだけ、はっきりしておかねばならないことがある。 「さぁ、ってことはないだろ? 何か方法っつうかやり方みたいなのは……」 「クィード」 その声をさえぎり、体を彼に向きなおすと、じっとその瞳を見つめる。先程覗き込んだ時よりもその目は落ち着いていて、ちゃんと話を聞いてくれるだろう。 「な、何だよ改まって」 「俺達は、もう2度と以前の関係には戻れない。 これだけは、忘れるなよ」 「……分かってるよ」 少しの間クィードは驚いたような顔をしていたが、ふっと鼻を鳴らすと、悲しそうに微笑んだ。 「……」 「あいつのことだからさ、きっと戻ってきたとしても絶対笑えないんだよ」 傾きかけた日を見上げながら、クィードは語る。大分落ち着いたのか、優しげな声だ。 「そうだな……」 「だからさぁ、俺は戻ってきた時にいつも通り笑ってやるんだよ。 そしたら、笑ってくれると思うんだよな」 両手を組んで背筋を伸ばしたかと思うと、こちらに向き直り、彼は歯を見せて笑う。 「クィード……」 「前みたいな関係には、戻れないんだよな。 でも……新しい関係なら、出来るんじゃねえかなあ?」 「あ、ああ……そうだな、その通りだ」 確かに彼の言うとおりだ。昔に戻れないのならば、新しい関係を築けばよい。単純な発想だが、既にあきらめてそこまでの考えに至らなかったライルには衝撃的であった。思わず口を開けて呆然とするほどの。 「ま、どっちにしろ、難しいけどな」 しかし、すぐに平静に戻るとにやりと笑い、希望あふれるその言葉に水を差す。 「わ、分かってるよ。 まったく、相変わらず嫌味だな」 「現実的って言って欲しいが」 当然、クィードは肩を落として不機嫌そうに顔をゆがめた。けれど、こんなやり取りは自分達にとっては『いつものこと』。それほど怒っているわけではないのは経験上よく分かる。 「本当に、難しいだろうな……」 「……俺達が今のままでは不可能だ」 しかしその表情はすぐに真剣なものに変わり、夕日を目で追うかのようにこちらに背を向けた。それに倣って西の空を見上げながら、ライルは思う。どちらかが変わらなければ新しい関係を築けないのならば、それは今度は、自分達が変わる番なのだろうと。メトはもう、変わってしまったのだから。 「……変わるしかないのかな、俺達が」 こくりと一つうなずく。彼には見えていないだろうが、恐らくその心の中ではもう理解しているのだろう。 「でも、それはあの中から抜けるってことだよな……」 「ついでに猫人とも仲良くしなきゃな」 こう考えていると、自分達には高さが見えないぐらいのハードルを、メトは越えていってしまったように思える。いや、背中を押されて越えさせられたと言うべきか。 「うぇー……無理じゃん」 「だから難しいって言ったろ?」 がっくりと肩を落とすクィードに対し、後ろから近づき、肩をぽんぽんと叩くライル。無理、と言い切らないのは、彼の言葉に少しでも希望が残っているからだ。 「難しすぎだろ……仲良くなるのもそうだし、大体今までの友達全部捨てて変わるなんて……」 「でも、それをメトはやった。 ランバートもな」 メトの場合は、追放されたから自発的なものにはあまり思えないが、迷いがあったのは確かだろう。そうでなければあの時、あれだけ返答できなかった理由が分からない。 「お前は……どうする?」 「……そんな簡単に言えるかよ。 大体ライルはどうなんだよ?」 「まだ、分からない」 こちらに向き直り首を振って答えるクィードに対し、自分もまたゆっくりと首を横に振った。自分の問いは、ニルバからも言われたことであったが、未だに答えが分からない。 「だよなぁ」 彼はしょうがない、と言う風に肩をすくめて苦笑した。やはり、答えを出すには早すぎる。時間を置かないと分からないのだろう。 (メトは強制的に答えを出されたが……) 自嘲気味に微笑むのは、メトと比べてしまうから。彼があまりにも不遇すぎて、何も出来ない自分を思い返してしまうから。でも今は、自嘲しているだけには終わらないはずの、小さな希望を見出した。 「でも、もしも……もしも、選ばなきゃいけない時が来たら……」 「ライル……」 自分がどうしたいか、まだ分からないけれど、同じようにメトを想ってくれている友が居る。それだけで、そう思うだけで自分が強くなれる気がした。だから、ためらいながらも、その言葉を口に出す。 「もしもその時が来たら、俺はメトを選ぶ」 「そっか……」 「……止めないのか?」 無言でふるふると首を横に振るクィード。先程までの怒り様からは考えられないほどの落ち着き具合だが、少し寂しそうな顔だ。 「まだ、俺には答えはわかんねえ。 けどさ……どっちが正しいかとかも、わかんなくなっちまったんだ」 「大丈夫だ、俺もどっちが正しいのか分からないから」 そんな彼を安心させるように、ライルはほほを緩めてうなずく。 「はははっ! そうか、ライルもか!」 目の前の彼は同じような仲間が居て安心したのか、一度だけ瞬きすると、次に大口を開けて笑い出した。 「でも、一つ分かってることがあるだろ?」 「何だ?」 くくっと喉を鳴らすと、彼は歯をむき出しにした笑顔で人差し指を立ててみせる。 「俺ら互いに、メトのことが気になってしょーがないってこと!」 「お、俺はべ、別にそんな気にしてなんか……」 図星を指されて、慌てて否定するも、逆に怪しさ満点だ。それも分かっているのだろう、クィードはニヤニヤしながらこちらの肩をバンバンと叩いてくる。 「まーたまた。 お前が今日不機嫌だったのも、どうせメトのこと考えてたからだろ?」 「……」 「な?」 と、同意を求められても恥ずかしくて素直には頷けない。でも、頬と耳は熱くて、きっと周りから見たら分かりやすい姿になっているに違いない。 「……ああ」 「へへっ。 素直じゃないな全く」 鼻元を指でこすると上機嫌を表すかのように尻尾をばたばたと揺らすクィード。 「……お前に言われたくない」 さっきまでメトのことを聞かれて友達じゃないとか否定していたくせに、とは声に出さないが、代わりにライルは大きなため息を漏らした。素直じゃないのは、お互い様だろうけれど。 「さぁーって……帰るか」 「ああ、分かった」 今度は背筋を伸ばすのではなくのげ反らせると、きびすを返して住宅地へと続く道へ向かう赤毛の犬人。それはレコが乗っていったバスも通っていった道でもある。 (まだ、あいつに対して殴ろうとか考えてるのだろうか?) 少し遅れて歩き出しながら、ライルはそんなことを思う。 「なぁ」 「ん?」 「えっと……空、奇麗だな」 顔だけ振り向いてクィードが指し示すのは、落ちていく夕日に彩られた、オレンジ色の空。見上げればそれを追うかのように紫色が彼方から空を覆っていく。 「ああ、そうだな」 彼が何か言いかけたのは分かる。でも迷っていて、何も言えなかった。だから、何も聞かない。 夕焼けの道を二人はとりとめのない話をしながら帰っていく。心の内に、わずかな期待と、大きな迷いを抱えながら。 きっとすぐには変われない。明日も、明後日も、ほとんど変わらない日々なのだろう。けれど、その中には確かに、変われる『きっかけ』が根付いている。だから、いつ変わっても良いように覚悟はしておこうと思う。 (もしその時が来ても、後悔しないように) おわり |
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