メトとレコ・第3話

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3.『接近』


「んがーっ……んがーっ……」
 メトがレコと出会ってからはや一ヶ月以上……夏も近い朝。高いびきをかいてメトは実に気持ちよさそうに眠っている。しかしその寝相は悪く、布団を跳ね除け仰向けになった体は、だらしなくパジャマのすそがめくれて彼の腹を空気にさらしていた。
 とうにいつも起きる時間を過ぎ、8時を回っているのだが、今日は週に一回の休日なので遠慮なくメトは眠っている。親もそうした彼の態度を黙認しているため、こういうときに彼が10時を過ぎる前に起きてくることはまずない・・・のだが。
「メト〜早く起きなさいー」
「んがー」
 何故か今日に限って階下から母親の呼び声が聞こえてきた。とはいえ、その程度の呼び声で眠りの世界から引き戻されるメトではないが。
「お友達が待ってるわよー」
「んが……? んん……ぐー」
 友達の単語に一瞬だけ耳が震えたが、すぐに寝返りをうってまた眠り込んでしまう。それから数回に渡って母親の声が響いたが、一向に目を覚ます気配は無い。

「しょうがないわねえ……ちょっと待っててくれるー?」
 階段の下に控えていた母は、玄関先にすまなさそうに呼びかけると、段を上り始めた。木製の階段は一段一段上るたびにギシギシと軋んだ音を立て、多少古臭い。

 銀メッキが施されたドアノブを回して開けると、だらしない格好の息子が目に入ってきた。思わず母は、はぁと深いため息をつき、起こすために彼に近づく。
「ほーら、起きなさいメト」
「うー……?」
「もう……」
 とりあえず優しく体を揺すって見るが、寝ぼけた声を上げるだけで目覚める気配はない。目覚まし時計を設定していれば一人で起きて来るのに……改めてその効果が高いことが分かる。
「うーん……仕方ない」
 目に入るのは枕元のスイッチが切れた目覚まし時計。まるで何かに誘われるかのように母はそれを手に取り、音量と時間を調節し、メトの耳元に近づけた……。

カチ、ジリリリリリリリ!!!!
「うわぁああああぁああああ!?!?」
 突如響き渡るは悲鳴とベルの不協和音。玄関で待っている友もさすがにびっくりしたのか全身の毛を逆立て、すぐに静かになった階上の様子に呆れた目を向けた。
「……何やってるんだか」

「母さん……」
「あら、あら、あら……」
 飛び起きたメトの耳にはいまだにベルの音が響いていて頭が痛い。抗議の目を母親に向けたが、目覚まし攻撃を仕掛けた自身もその音に耳をやられて頭を回していた。
「ったく……今日は休みだって分かってるでしょ?」
 ところどころはねっ毛のできた頭をかきながら、やれやれと言った風のメト。その声に我に返ったのか、母は眉を八の字に曲げた。
「お友達が来てるのよー。 こんなに早く何か約束でもしてたのー?」
「えー? うーん……」
 相変わらず間延びした声だが、その顔は困っているのか怒っているのか、よく分からない。メトは何か約束あったかな、と記憶をさかのぼると……・一つ思い当たる節があった。
「……そうだ! サッカーの試合が……!」
「ええー? どうしてそういうことを早く言わないのよー」
「だ、だって……って話してる時間も無いよ! 着替え着替え!」
 ぶちぶちと文句を言う母親を尻目にメトはあっという間にパジャマを脱ぎ捨て、身軽な短パンとTシャツを羽織るとついで階段を駆け下りる。この間およそ15秒。寝癖は直せなかったが、そんなことを気にしてる場合ではない。

「遅いぞ。 だから昨日目覚まし時計を合わせておけとあれほど……」
 玄関先で待っていたのはライルだった。目を合わせるなり早速説教じみたことを言い始めるあたり、結構な待ちぼうけを食わされたのだろう。
「あーゴメンゴメン。 すっかり忘れてた」
「……早めに迎えに来て正解だったな」
 肩を落として脱力するライル。あらかじめ予測できていたとは言えこうもその予測がそのまま当たってしまうのはむなしいものだ。
「ともかく、早く行こう」
「って、ちょっと待てよ……まだ8時ちょっと過ぎただけじゃんか」
 試合は10時を回ってから。朝食を食べて学校のグラウンドに集まっても、1時間以上の余裕はある。当然だがメトは抗議の声を上げる……が、ライルは冷たい目を向けて皮肉を言った。
「朝練すると言っていたのを、忘れたか?」
「……あ」
 やっぱり忘れていたな、とその目はありありと語っていた。仕方なく、メトは照れ隠しに寝癖が直るよう手で押さえながら靴を履く。かかとをつぶさないようにするのは多少手間取ったが。
「あらー? 朝ごはんはー?」
「ゴメン母さん! 食べてる暇ないや!」
「じゃあこれ持って行きなさーい!
 一言謝って、メトが勢いよく飛び出していく。なんとなく分かっていたのか、別段驚きもせずその背中に母親は何かを投げつける。もちろん、ライルごしに。
「ありがと! じゃあ行ってきまーす!」
 パシッと小気味いい音とともに、後ろ手でメトは投げられたものを見事にキャッチする。それはバナナの房。キャッチできるメトもすごいが、一房丸々投げつけられる母親のコントロールもすごい。ライルは沈黙しながらもそう思った。





「ごめーん! 遅れたー!」
「時間は遅れてないけどね……」
「う……うん……」
 グラウンドに謝りながら入ってきたメトを見て、クィードがやや冷ややかに答えた。いつも温和な彼らしくないその言葉に気圧されたが、見ると周りに居るほかの犬人も冷ややかな目線を投げかけている。
「さ、さっさと始めようか!」
 慌てて叫んだメトの言葉に全員がサッカーコート内に散っていった。中にはあからさまに遅れてきたメトに悪意を投げかける者も居て、いつもより明らかに態度が冷たくなっている。一瞬自分がレコと友達であることをばれたかと思ったが、すぐにその理由は思い当たった。
「……相手が、猫人だから……か」
 本来、遊びの延長でしかない試合をするのに、わざわざ朝練をして備えようと言う犬人はいない。相手が猫人であるからこそ、負けるわけにはいかないという気負いが、確かにそこにある。
(やっぱ、俺が猫人と友達だって知られたら……怒るんだろうな)
 そんな彼らの気負いに、いかに猫人を嫌っているのか再認識したメトの胸の内が、少し痛んだ。

 そんなピリピリした雰囲気で始まった練習は、体育の授業を超えて気合が入ったもので、軽いウォーミングアップ程度と考えていたメトは後悔することになった。
「チッ! 外すなよっ!」
「お前こそうまくパスしろよ!」
 ただボールを受け損なっただけで怒ったような声が飛び交い、おおよそ子供同士の和気あいあいとした雰囲気とはかけ離れている。本番まで体力を残しておけ、と比較的冷静なメトやライルは何回か注意したものの、大半の犬人はすぐに熱くなって力の加減ができず、むしろ全力を出さない二人に冷えた視線は突き刺さるのだった。

 ―――結局、練習は力みすぎたために1時間もしないうちにほぼ全員がへばってしまい、自然と終わることになった。
「はぁ……」
 力を出し過ぎないように気をつけていたものの、熱くなっていた彼らに付き合っていれば疲れもする。さらに他の犬人達の冷たい目線もあって、少し離れたグラウンドの草地にメトは転がっていた。
「なんだ、メト……疲れたのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
 そこにクィードがやってくると隣に腰を下ろし、転がったメトの顔を覗き込んだ。彼やライルは長く友達なだけあってメトの言うことは理解できていたが、およそ50分の間、彼も本番など気にしていないかのように全力を出していたように見える。疲れたというならばそれはメトよりもむしろクィードの方だろう。
「負けやしないって、相手は練習もロクにしてないんだろ?」
「はは……そうだと、いいけどな……」
 ホントにこんな状態で勝てるのかな、と言う自身の不安は押し隠し、メトはあいまいに笑ってごまかす。この休憩中に体力が回復できればあるいは……そう考えていたが……。

「ではこれより試合を始めます」
 ピーっと笛の音が鳴り、始まった試合の展開はあっさりと彼のかすかな希望を砕いてくれた。が、それもやむをえないかもしれない。子供の回復が早いとはいえ、1時間もない休みではさすがに完全とまではいかないのだから。
「猫人チームゴール! 5−0!」
 軽快に動く猫人たちとは対照的に動きの鈍い犬人たち。彼らの動きに追いつけず、序盤からメトたちは大差をつけられた。それは、彼らを侮っていた結果でもあったのだが。
「まだまだぁっ!」
「まだ終わってないよ!」
 しかし、普通であればいきなり大差をつけられればやる気が薄れても仕方が無いのだが、犬人達にはそれが無い。逆に負けん気の強さを発揮してやる気は上昇していた。そこには確かに焦りも存在して、動きは単調で正確ではないけれど、それでも必死に勝つためにグラウンドを疾走する。
「ゴール! 犬5−猫7!」
「っしゃぁ! あと少しで同点!」
 そのため前半までは一方的だった試合展開は、後半になって猫人チームにも疲れが見え始めた頃にはほぼ互角の展開となった。もともとチームワークが多少苦手な猫人であるためか、スタンドアローンのプレイが目立ち、動きはバラバラだ。
 よって犬人は数人のディフェンスで一人を阻み、その動きを一つずつつぶしていけば、彼らの攻撃を抑えることができるのだ。
「あぁーっ! 取られた!」
「だからまかせとけって……あれ?」
 一人抜きん出た猫人が犬人に即座につぶされ、パスを受けた猫人もすぐさま抜きん出てはつぶされる……そんな光景があちこちで見かけられていた。

 そして同点で迎えた終盤、残り時間3分。
「メト! 行ったよ!」
「おっしゃ!」
 クィードのパスをしっかりと受け止めたメトが相手側のゴールに向かって駆け出す。途端にほぼ全ての猫人がメトの動きに集中する。その動きにはディフェンスもオフェンスも無く、統率と言うものが取れていない。まさに人海戦術。
 この戦術のせいで猫人は無駄に体力を消耗していたのだが、その効果は高く、メトも何度もボールをとられた。が、彼らが疲弊している今その動きをかわすのは大分容易で、間をぬってゴールへの距離を見る間に縮めていく。
「いけーっ!」
「やれーっ!」
「だぁあっ!!」
 背中に仲間の声援を受けながらメトはゴールを正面に捉え、足を思いっきり振りかぶる。多少距離が近すぎる気もしたが、キーパーが受け止められるような力で放つよりはましだ。

ばごっ! きゅぅーん……

「あ」
「あ」
 力が強すぎたのか、焦った為か、よく分からなかった。ともかくボールは見事に目標の進路をそれ、空を裂きながらグラウンドをあっさりと飛び出し、さらに木々の間まで縫って学校の敷地外まで飛び出していく。
 その見事な場外っぷりに、誰もが呆然としてボールの飛んで行く様を見ていた。

ひゅーん……

「ふぎゃっ!?」
『!?』
 鈍い音に一瞬遅れて短い悲鳴が響き、静かに目で追っていた両チームをさらに静寂に陥れた。が、何も呆然としていたわけでなく、彼らの視線は非難を伴ってメトに向けられている。
(お、俺が悪いの!?)
「……」
 いつの間に近寄ってきたのか、ポンと肩に手を置くライル。振り向いて彼の目を見ると、いつになく真剣な表情の奥から無言の圧力を感じた。
「わ、分かったよ……」
 どの道ボールが無ければ試合は続けられないし、早く再開しなければという思いもあって、メトはすばやく声の方向へと向かった。それにつられたかのように、3人の猫人がその後を追う。



 学校の敷地を囲むのは……北に雑木林、南は校門に面して住宅地へと続く平坦な道、東はメトの家方面で並木道と川が、西にはすぐに住宅。
 ボールが落ちたのは、方角的には南西。転がっていなければ、そう距離的にも遠くない位置にあるはずだし、簡単に見つかるはずだろう。
 事実、ボールは校門をでて左右を確認しただけですぐに見つかった。その傍らには被害に遭った人の姿も。土が固くならされただけの道路にしゃがみ込んでいるのはどうやら自分たちと同じぐらいの年の子供らしく、その傍らには花束が転がっている。
「あ、おーい! 大丈夫か!?」
 その呼びかけに気付き、何が起こったのか良く分からないという顔で振り向いた人はメトの知っている『友達』だった。
「レコ……!!」
「め、メト君?」
 一声驚きの声を上げ、メトは彼に駆け寄る。驚いたのはレコも同じようで、何でメトがここに居るの?とその表情はありありと語っていた。
「ご、ごめん、そのボール……俺がけったやつでさ……えーっと、どこか痛むところは?」
「おーい、どうしたんだー?」
「あ……」
「……レコ君だ」
 と、謝りつつ心配しているところに遅れて3人の猫人がやってきた。彼らはボールと二人を見て状況を理解したようだが、それ以上にレコを見たことにより顔をこわばらせている。
(……なんだ? こいつら、なんで?)
 普段であれば挨拶もせずにすれ違うだけの他人でも、いざ危機となれば助け合う……それが猫人だ。今回のように怪我でもしてそうなら心配しておかしくないのだが……それが無い。不自然だった。

「痛かったけど大丈夫だよ……あいつっ!」
「!」
 しかし、その違和感を考える暇を与えないかのように、立ち上がろうとしたレコが体勢を崩した。慌ててその体を支えて外傷が無いかどうか見回すと、表面に傷は無いようだが、ふくらはぎを押さえて彼は苦悶の表情を浮かべている。足をくじいてしまったのだろうか。自分でも立ち上がるまで分からなかったらしい。
「足……痛むのか?」
「う、うん……」
 体を支えられたレコは至近距離に彼の顔が迫っていることに恥ずかしさを感じて、思わずそっぽを向いてしまった。そんな気持ちなど知らないメトはただ首をかしげるばかり。
 と、そんな時、メトは後ろからの視線を感じた。
「ん……どうした?」
 3人の猫人は毛の色や模様の差はあるが、その表情は一様に困惑しているように見える。様子にレコもどうしたのかと見ていると、やがて疑問に耐えかねたように縞模様の少年が口を開いた。
「……どうして犬人がレコ君を心配するの?」
「……? 友達だからに決まってるだろ」
 さも当然と言わんばかりのメトに、困惑は今度は驚きに変わった。メトが猫人嫌いのチームに居ることを考えれば、それも仕方の無いことだろう。
「友達……?」
「……レコ君と?」
「……ああ」
 驚きのあまり少年達は呆然と問いとも独り言とも分からないつぶやきをもらす。しかし何で驚いているのかメトには分からず、とりあえずそのつぶやきにうなずいて返してやった。不用意に自分達の関係を明かしてないかと頭をよぎるが、それよりも気になることがある。

―――猫人と友達の犬人は他にも居るだろうに何で驚くんだろう?

「そうなの?」
「う、うん……」
 白い毛並みの少年がレコにも尋ねると、彼はちょっと恥ずかしそうにうなずいた。メトがはっきりと友達と言ってくれて、うれしい反面なんだかこそばゆい。
「……へぇ」
 どこをどう納得したのか分からないが、その一言を合図にしたかのように、3人は黙りこくってしまう。近くにいるのに遠巻きにこちらの様子を見ているようで何となく不気味だが、とりあえずレコを優先する。

「えーと……なんでここにいたんだ?」
 倒れかけたその体をゆっくりと地面に下ろし、メトは尋ねる。
「う、うん。 母さんのお見舞いに行こうとしてて……」
「お見舞いか……その足で大丈夫か?」
「にゃう……」
 一声鳴くと困ったようにレコは足を見た。毛皮に包まれててよくは分からないが、痛そうだ。一人で行けるだろうか……と、ここまで考えたところで一つの案が浮かんだ。
「そうだ、お前ら……」
「……んぁ?」
 様子を見ていたというよりはどうやら呆然としていたようで、ようやく我に返った3人。毛色も身長も顔も違うのに、まばたきするタイミングはぴったりそろっていて、なんだか笑える。
「俺、こいつ送っていくから。 言い訳頼む」
『え』
 これまた同じタイミングの発言。今度はレコも一緒だ。
「で、でも、今試合か何かやってたんじゃ……?」
「大丈夫だって。 レコのお見舞いのほうが重要なんだよ。 それにどうやら怪我もしてるみたいだし……」
 今抜け出したらどっちからも何か言われそうだよ、レコの青い瞳はそんな心配を写していた。しかし、当の本人はそんなことはまるで気にせずに歯を見せて笑いかけてくる。そうまで言われて悪い気はしないけど、何か恥ずかしい。
「うーん……でもなぁ」
「僕達が言ってもあっちが納得するかどうか……」
「だよなぁ」
 うんうんとうなずき合う少年達。猫人の自分たちの口から言っても、同種族ならともかく、犬人達が納得するとは思えないらしい。確かに今相手にしているチームを構成しているメンバーのほとんどが嫌悪派であるし、彼らの言うこともなんとなく分かる。
「確かにそれもそうだな……仕方ない。 レコ、ちょっと待っててくれな」
「う、うん……」
 メトはそう言うと返事も聞かずに再びグラウンドに戻っていく。猫人3人もそれに続き、まるでメトが彼らを従えているように見えるなあ、と思いながらレコは見送った。


 戻るまでに思いついた言い訳は、『猫人を怪我させたから病院まで送っていく』、というもの。友達であるという事と、見舞いに付き添うという事は伏せておいた。
「病院に送っていくから試合を抜ける?」
「それなら、仕方が無いようなそうでもないような……」
 案の定、その言い訳は犬人達を驚かせることになった。犬人が怪我したならすぐに送らせただろうけど、猫人が相手だとやっぱり複雑になるらしい。
 人が怪我したけれど、その人は犬人が嫌いな猫人で……当然、送っていく必要など無いという意見もあったけれど、怪我したのが犬人だったら?というメトの問いかけに黙ってしまった。
「俺はいいと思うけどなー」
「あっちは試合中止でもいいみたいだし……」
 猫人はすでに試合をするような雰囲気ではなく、皆好き勝手に水を飲んだり、汗を拭いたりしていた。もう全員試合が終わったものとみなし、リラックスしきっている。
「でも、あと少しで俺たちが勝ちそうだったのになあ?」
「試合が終わってからじゃダメなの?」
 しかし、同意する者も反対する者も半々で、なかなか意見がまとまりそうに無い。試合の予定時間はとうに過ぎていたものの、授業じゃないんだしボールを取りに行っていた時間を除いて再開しよう、と言うことらしい。
 が、次のクィードの言葉には、誰しも同意せざるをえなかった。
「まぁまぁ。 怪我した猫人を放っておいて試合再開した……なんて他の奴に言われたら全員後で先生から怒られるかもしれないじゃん」
「う……」
「そ、それじゃしょうがないよなぁ……」
 子供にとって先生とは親並みに怖い存在である。種族同士で喧嘩してるとすぐさま駆けつけ雷のように叱りつける……そんな先生を思い出し、一部の犬人は身震いすら起こしている。誰だって怖い先生に怒られるのは避けたい事態だろうし、無理も無い。
 ……結果、試合は引き分けとして、メトはさっさと付き添って送ってくるように、と全体の意見がまとまった。

「メト」
「ん?」
 急いでレコのところへ向かおうとしていたメトを、ライルが引き止めた。彼にはどうしても気になることがあったのだ。その、怪我をした猫人について。傍らにはクィードも控えていた。
「その猫人はもしかして……」
「……俺の友達だよ」
「……そう、か」
 一瞬言おうかどうかためらうような間はあったが、メトは言い切る。決して親や先生に怒られたくないがために彼は行動しているのではないと、雰囲気からライルは理解した。
「……お前やっぱり……」
「行け、『友達』が待ってる」
 責めようと口を開くクィードを抑え、ライルが促す。まるで分かっている、と言いたげに。
「……ありがとな。 それじゃ」
 一言礼を言うと、メトは二人に背を向けて再び『猫人の友達』の下へと駆け出した。
「どうして……」
「……」
 呆然とつぶやくクィードの肩に手を置きながら、ライルは何も言わずに彼の後姿を見送る。その姿は、もう二度と自分たちの下へ戻って来ない、そんな気がした。

たたたたたたたた……
 土ぼこりを上げそうなほど急いでやってきたメトを見て、今までしゃがんでいたレコが立ち上がる。今の今まで運動していたというのに相変わらず元気な人だ。
「お待たせ! あ、もう立ち上がって大丈夫なのか?」
「ちょっと痛いけど……大丈夫」
 いつの間にか近くの木陰に移動させていた花束を取ると、とんとんと地面を足でたたき、平気であることをアピールするレコ。しかし、彼は一瞬だけ苦痛に眉を曲げていた。
「そっか……でも無理しちゃいけないからな、我慢できなくなったら言えよ」
「うん……ありがと」
 いつものはにかんだ笑顔を見せるレコ。メトは思わずなでてやりたくなるこの顔が好きだ。たまに一緒にいるときに、無意味に彼の頭をなでたりすることもある。
「で、お見舞いって言うからには病院だよな……どこの?」
「隣町の総合医院だよー」
「結構遠いな……2、3キロぐらいあるんじゃないか?」
 喋りながら並んで歩き出す二人。もはや夏の日差しといっても変わりない中、帽子も着用しないでその距離を歩くのは結構きつそうだ。
「バスで行こうと思ってたから……そんなにはかからないと思うけど」
「バスを使うんだ? 金持って来てて良かったぁ〜」
 一応田舎ではあるが、ここにもバスは通っている。運賃もそれほどかからないので村人の足としても気軽に利用できるのだ。とはいえ、本数が少ないのがネックであるが……。
 とにかく二人はこの村唯一のバス停へと向かうことにした。照りつける日はいよいよ高く、バスの発車時刻と、早いところ影に避難したいこともあって、その歩調は多少早足気味だ。


 ところ変わってバス停―――住宅地のど真ん中と言っても差し支えない位置にそれはある。ここにバス停が出来たのは比較的最近のことで、まだ新しく光沢を放つ赤いベンチと、銀色の金属板に透明なフィルムを挟んで、ダイヤが書いてあった。それを、先ほど早足でやってきた二人が覗き込んでいる。
「って、ギリギリだぁ……」
「あと一分遅れてたら危なかったぁ……」
 ダイヤとレコの持っている時計を見比べて、ため息をつくメト。とは言え、時間通りに来るバスなんて少ないもんな・・・と思っていたら向こうからバスがやってきた。
 バス停は新しいが、隣町のお下がりを使っているためバスは古い。黄色の外装でごつごつしたフレーム、エンジン音も結構響き、排気ガスを大量に撒き散らす……いかにも健康に悪そうだ。
「ありゃ、早いなー」
「ホントだ。 まぁ、ここら辺が混むことなんてないしね」
「それもそうだな……」
 会話を交わしている間にバスは二人の前に停まり、ドアが開いて何人かの村人が出てくる。その中には二人の顔見知りが居たが、言葉は交わさずに目礼だけをしてバスに乗り込んだ。
 中は昼の時間帯だがガラガラに空いていて、彼らの座れる席は容易に確保が出来た。真ん中辺りの隣り合った席に座ると、間も無く車体が振動し、バスは目的地へと動き出す。

「ふぅ……お前のお母さんって入院してたんだ?」
 窓際に座ったレコが銀枠の窓を開け、涼しい風が入り込んでくる。疲れて火照った体にはとても心地よい。リラックスした状態でメトはさっきから気になっていたことを聞いてみる。
「うん。 昔から体が弱くて……あんまり家に居ることもないんだ」
「そうだったんだ……やっぱり寂しい?」
「ううん……いや……うん。 ちょっと、寂しいかな」
 窓の外に流れる緑の風景を見ながら、少しだけ迷ってレコは答えた。顔をこちらに向けてくれないかな、とメトは思ったが、こっちに向いてくれる気配は無い。
「でも、今はメト君が……居てくれるから」
「……お前、猫人で友達っていないのか?」
 自分以外には、猫人の友達が居るんじゃないのかと思ったが、どうやらそうではないらしくレコは首をゆっくりと横に振る。
「僕は……あんまり人と関わらないから。 メト君だけ」
「……」
 そこでようやくレコは振り向き、メトに笑いかけた。でも、どことなくその笑顔は寂しげで、胸が何故か締め付けられるような感じがして……だからか、優しく彼の頭をなでてやった。
なでなでなで
「にゃ……」
 一転、気持ちよさそうに顔をほころばせるレコ。出会って間もない頃はなでられるのが恥ずかしいとか言っていたけど、ほぼ会う度になでていたらこの頃は何も言わなくなって素直に喜ぶようになった。
「その内……俺以外にも友達が出来るよ」
「うん、そうだといいな」
 その笑顔をもっと見ていたくて、なで続けながらメトは言う。果たしてその思惑通り、笑顔のままレコは答えてくれる。
 なでながらメトは、ある疑問を思っていた。3人の猫人達の、レコを見たときの反応を・・・。
(普通だったら、心配するはずなのに……)
「なぁ」
「ん?」
 なでるのを終えて、あの3人と知り合いなのかたずねようとしたその時、
『次は総合病院前ー』
「あ、ここだよ〜」
「う、うん……」
 と低く伸びた声でアナウンスが流れ、レコは降りるために自分の財布をあさり始めた。やむなくメトは聞くことを諦めて自分の財布を短パンのポケットから取り出す。見ると、いつの間にか景色は隣町のそれになっていて、改めて来たんだなあと実感させた。

 運賃は持ってきた小銭で事足りたが、往復分ぎりぎりに近く、帰りにアイスを買う余裕はなさそうだ。とりあえず深く考えるのは後にして、じゃらじゃらと小銭の音を響かせる財布をポケットに突っ込むと、メト達は病院の前に降り立った。


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