メトとレコ・第4話

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4.『近接』

 キャルメリア……ドギークラウンと距離にして2〜3キロ程度しか離れていないにもかかわらず、その発展の差は明確だ。元々は荒地でしかなかったここを、ドギークラウンの弾圧より逃げ延びた猫人が50年ほど前、新天地として興した集落がキャルメリアの元だ。かといって犬人を差別するようなことも無く、誰でも受け入れられる町としてその名は広く伝わっている。

 その発展を表すかのように、町の中心近くには巨大な総合病院がそびえていた。そして今、その門前には少年が二人。呆けたように建物を見上げる銀髪の犬人を、隣に並ぶ猫人が急かしている。巨大な建物と言うと学校以外に殆ど縁の無い彼にとっては、無理からぬことかもしれない。
 ともあれ、敷地内に二人は足を踏み入れ、まっすぐに中央の入り口へ向かう。

シューン……
 玄関先まで来ると、静かな音とともに自動ドアが開き、二人の小さな来訪者をその中へと招き入れた。メトは物珍しげに閉まって行く透明なそれに気をとられながらも、レコの後を追う。
 その時、
「うっ……」
 鼻の奥をまるで突付かれたかのような刺激臭。思っても居なかったその臭いにメトは立ち止まって口元を覆った。おそらく消毒液など薬の臭いなのだろうが、今までに嗅いだ事の無い種類のものだ。
「……メト君? 大丈夫?」
「ああ……けど、すごい臭いだな」
 気がつけば、心配そうにレコがこちらの顔を覗き込んでいた。苦笑して心配ないと言う風に手を振りつつも、その漂う刺激臭にぼやきをもらす。
「薬のにおい?」
「多分そうだろうな。 授業で使ったくっさい薬よりひでえや」
「とりあえず、ここで止まってちゃダメだよ」
「ん、分かった」
 確かに入り口近くでは他の人の邪魔になるし、とりあえず落ち着けるところに行くまでメトは鼻を覆って我慢することにした。周りの患者や医者は不思議そうにこちらを見ているが、メトにとってみれば臭いを気にしない彼らの方が不思議である。
「こんなきつい臭いなのに……レコも、他の人もどーして大丈夫なんだよ」
「僕も最初はきついと思ったけどね……きっと慣れてるからだよ」
「んーむ……」
「それにメト君は犬人だもんね」
「そうだな……」
 隣を歩きながら笑いかけるレコに、メトは自身の嗅覚の良さを少し恨めしく思いながら苦笑を返す。いつもは自分の鼻のよさにそれなりに誇りを持っているが、こういうときは逆に鼻が利かないほうがうらやましかった。
「……」
「どうかしたの? 僕の顔に何かついてる?」
「え? あ……ああ、なんでもない」
 気がつけばレコの横顔をじーっと見つめていた。こちらを見つめ返す顔はちょっと困ったように眉を曲げている……が、それが照れているなどとは思いもしない。
「とにかく、病室に行こうよ。 その間に鼻も慣れると思うよ」
「ん? 耳赤いぞ?」
「べ、別に何でもないよ」
 耳が赤らんでいるのを指摘されたレコはそっけない言葉を口に出し、早足で母の病室へ歩き出した。
「ちょ、ちょっと待てよ……」
 あわててメトはその後を追い、二人は奥へと消えていくのだった。

 数分後……総合病院3階、オレンジ色の壁が温かみを感じさせる患者病棟エリア。いつの間にやらにおいに慣れたメトを連れて、レコはその一室……308号室にやってきた。
「ここか……」
「うん、今は母さん一人しか入室してないけど」
 4人部屋なのか部屋前に固定されたネームプレートには人数分のスペースがあり、彼の言うとおり一人分の・・・『リミュ・テラニス』と書かれたプレートしか入っていなかった。
「へぇ……あ、居た。 あの人が?」
「そ、僕のお母さん」
 開け放たれた入り口の影からそっと中の様子を覗くメト。当然といえば当然か、目的の人物はこちらには気づいておらず、窓の外を眺めたまま動くそぶりも見せない。
「じゃあ、入ろっか?」
 いざ入ろうとして、レコが振り返り聞いてくる。まるでこちらが緊張している事を見通しているかのように。
「っ……なんで聞く必要があるんだよ」
 図星を突かれて一瞬どきっとしたが、内心の不安を読み取られないよう極力抑えた声で聞き返した。
「だって、会うの怖いんでしょ?」
「そ、そんなわけないだろ!」
 今度こそ本当に心を見透かしたような発言だ。驚きと恥ずかしさと意地が入り混じり、メトは思わず大声で言い返してしまった。言ってからすぐさま、気づかれたんじゃ、と思って慌てて自分の口をふさいだが、すでに遅い。
 なぜならば、
「どなたー?」
と、部屋の中から当人の声が聞こえてきたからだ。
「……」
「……」
 二人とも無言のまま諦めた表情で数秒お互いに顔を見合わせていたが、やがて先立ってレコが入り口に向かうと、スライド式のドアをノックする。
コンコン
「はーい」
 その様子を見守りながら、母親はどんな人なんだろうと考え、メトは緊張に体を固くし、傍目から見ても分かるほどに尻尾の毛を逆立てていた。

「こんにちは、母さん」
「あら、レコだったの……」
 軽く挨拶をしながら入っていく彼を、母親―――リミュがちょっとほっとしたような顔して迎えているのがレコの背中越しに見える。さっきの声がやはり不審に思えたのだろうか。
「こ、こんにちは」
 ともあれ、メトもレコの後に続いて病室に入ると、挨拶しながら軽く頭を下げる。
「あらあら、珍しいお客様ね。 こんにちは」
「メ、メトって言います。 どうも……」
 少しだけ驚きの表情を見せ、次に優しく微笑むとリミュは頭を下げた。その体毛は白く、髪の毛だけがレコと同じように茶色だ。
(きれいな人だなあ……)
 種族が違うのに思わず見とれてしまうほどその容姿は美しく、窓からの日差しも相まって暖かさを感じさせる。なんだか急に自分の格好がこの場にそぐわない気がしてきて、メトは何気なくTシャツの汚れを払うようなしぐさをした。
「レコがお友達を連れてきてくれるなんて、嬉しいわ」
「えへへ……今日は足くじいちゃってさ、メト君がついて来てくれたの」
「あら、まぁ……」
 そんなメトを尻目に、嬉しそうに備え付けの花瓶に花を挿していくレコ。息子の手馴れた様子を見守りながら、次にリミュはメトの方に振り向いた。
「迷惑をかけてごめんなさいね」
「いっ、いえ……足をくじいたのは俺が原因って言うか何というか……」
 頭を下げたリミュに、ようやく我に返ったメトはしどろもどろになりながらもぶんぶんと勢いよく首を振りながら答える。
「?……喧嘩でもしたの?」
 リミュは息子を心配してか、綺麗な眉を曲げて表情を曇らせた。その顔からはこちらに対する怒りは読み取れず、息子への心配がありありと浮かんでいる。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
 いつものように大人に怒られることを予想していただけあって、肩透かしを食らった気分のメトは理解できないというような顔で頭を掻いた。
 普通、『犬人』が『猫人』を傷つけたとなると『犬人』が『猫人』を苛めたのではないか、と思うものである。無論それはドギークラウンにおける『普通』なのであるが、その常識に囚われているメトは『友達同士の喧嘩』と思っているらしいリミュにすっかり調子を崩されてどう答えていいものか分からなくなってしまっていた。
「メト君がサッカーの試合中にボール飛ばしすぎて、それがたまたま通りかかった僕に当たっちゃったの。 ね?」
「あ、ああ……うん。 そ、そうなんだ」
 うまく説明できないメトを見かねてレコが説明してあげると、忘れていたかのように彼はうんうんとうなずく。
「そうなの……でも、大事がなくてよかったわ」
「ご、ごめんなさい」
 すっかり肩を縮めて謝るその姿を見ながら、安心したようにリミュは大きく息を吐き、ゆっくり首を横に振った。
「あんまり気にしないで。 何もわざとじゃないでしょうし……」
「う、うん……」
「レコも、気にしてないでしょ?」
「うん」
 レコはメトと目線を合わせると、はっきりとうなずいて自分の意思を示した。慣れない事態の連続で戸惑ってばかりの友人を安心させるかのように。
「だから、気にしないでメト君」
「……わ、分かった」
 まだ緊張は残っているが、入る前に感じていた不安はもうない。それを解消してくれた友人に、小さくメトは笑いかけた。
「ところで、足の方は大丈夫なの? まだ引きずるような感じだったけど」
「え、う、うん、へーき」
 いきなり話題を自分に振られて、レコは一瞬詰まったが、すぐに右足をたたいて傷の軽さをアピールする。
「……あれ?」
 ふと、その姿にメトは違和感を覚えた。彼が押さえていた足は、左足じゃなかっただろうか……?
 じっと彼の左足を見つめると、レコはその視線に気づいたのか、まるで隠すように手でふくらはぎを覆ってしまった。
「ど、どうしたの?」
「いや、左足は大丈夫なのかなーって」
「こ、こっちはくじいてないよ……」
 さっきからの疑問を発すると、困ったように彼は眉を曲げて大丈夫だとアピールする。しかし手は足に添えられたまま離そうとしない。
「そうだっけ? ……でも」
「そうだよ!」
 尚も問おうとするメトを突き放すかのような大声。その必死とも言うべき剣幕に、友は言いかけていた言葉を飲み込み、何も言えなくなってしまった。傍から見ればその顔は驚きのあまり固まっているように見えるだろう。
「あ、その……」
 黙ってしまった彼に気づき、レコはばつが悪そうに耳を伏せて母を見る。しかし、リミュもそんな大声を出した息子に驚いているのか、不可解そうに眉を曲げてこちらを見ていた。
 と、そこに、
「……どうしました?」
 先ほどの大声に気づいたのか白衣に身を包んだ犬人がやってきた。医者にしてはだらしなく服装を着くずしていて、目元を隠す丸眼鏡と相まってどこか胡散臭い。が、その体から漂ってくるのは、確かに薬の匂いだ。
「あ、先生……母がいつもお世話になってます」
「どうも……」
「はい、こんにちは」
 座ったままレコとリミュはぺこりと頭を下げ、医者は右手を上げて笑顔で返す。
「珍しいですね、先生がこちらに来るなんて」
「いえ、たまたま通りかかったらいつも静かな病室がにぎやかだったので……ところで君は? レコ君の友達かい?」
 リミュとのやり取りを見ていると、眼鏡を押し上げて彼は視線をこちらに向けてきた。その声にはやや意外そうな響きが含まれていたが、ドギークラウンのことを知っていればそれも当然だろう。
―――二種族が友達と言うのは珍しいのだから。
「う、うん。 俺はメト……先生は?」
 ともあれ、メトはうなずいて返し、医者に自己紹介を求める。
「ああ、失礼。 私はアガ・タ。この病院の内科医だよ」
 アガは屈託無く笑い、その手をメトに差し出し、握手を交わす。見た目の細っぽい優男な印象とは裏腹に、その手はごつごつしていて、大きい。その風体はさわやかさからかけ離れているものの、気さくな人柄のようだ。
「それで、何があったのかな?」
「あ、そうだった……」
 3人を見回してアガが問うと、メトがさっきまでのやり取りを思い出し、レコを振り向いた。
「だ、大丈夫だってば! もう……」
 自分が何を言いたいのか分かっているのか、こちらが言わずとも大丈夫、と繰り返しレコは主張する。恥ずかしいのか耳は少し伏せ気味でちょっと困っているようだ。が、当然話の分からないアガは何のことだと頭をひねる。
「? 話が見えないんだが……」
「レコが足を挫いたらしいんですよ。 でも、大丈夫だーって言い張って……」
「だ、だって大丈夫だし……」
 まるで自分が強情だ、と言わんばかりの母の説明にレコは少し頬を膨らませた。そういうところが強情だと言うのが彼には分かっていない。
「こう言って聞かないんです先生、身勝手なお願いですけれど、診てもらえませんか?」
「いやいや……リミュさん、そんなにかしこまらなくても……とりあえず見せてもらえるかな? 大事になるといけないから」
 腰の低いリミュを制し、やや慌て気味にアガはレコに顔を向けた。
「は、はい……」
 たかが転ぶくらいで骨が折れるとかそういうことはありえないだろうけれど、医者にそう言われてしまっては仕方がない。体をアガの方に向け、靴を脱ぐと、少しだけ足を上げる。
「どれどれ」
「……!」
 アガがそっと左足のふくらはぎに触れた途端、声こそ上げなかったがレコの尻尾がびくびくっと跳ねて反応しているのをメトは見逃さなかった。
「……実は痛いんだろ?」
「そ、そんなこと無いって」
 あくまでも大丈夫と言い張るレコに、メトは軽く肩をすくめると、リミュの方へ目を向けた。当然だが、彼女も尻尾の反応を見ていたのだろう、諦めとも呆れとも取れるような目で息子を見つめている。
「結構腫れてるじゃないか……よくこんな状態で歩いてきたね」
「う、その……」
 アガの冷静に診断にレコはさすがに返す言葉を失ってしまい、目線を母と友人からそらした。
「……これは湿布貼るか薬塗るかしたほうがよさそうだよ……リミュさん、ちょっとレコ君を借りていいですかね」
「ええ、それはかまいませんけれど……お時間のほうは大丈夫ですか?」
「いやいや大丈夫、すぐに終わりますから。 リミュさんこそそんな気を使わずに、しっかり休んでいてください」
 リミュに気遣われるものの、アガは一笑に付して逆に彼女の体の心配をする。
「さ、乗って。 ちょっと処置室まで行くからね」
「はい……」
 向けられた背中に乗ると、レコは離れるのが嫌なのか、未練のこもった目で母親と友人を交互に見比べた。そんな彼の顔に、メトの心の中にはまた罪悪感が湧き上がる。
「えっと……お、俺もついて行くよ」
「ん……すぐに戻ってくるから、母さんの傍にいて」
 思わず提案したメトに、一瞬だけきょとんとしたレコだったが、すぐに小さく微笑んで首を振った。ホントはついて来て欲しかったけど、母のそばにいて欲しいと思ったのだ。いつも一人だけの病室にたたずむ、彼女のそばに。
「う、うん」
「それじゃ、行こうか」
 メトのその声を待っていたかのように、アガは背中に小さな猫人を乗せて軽々と立ち上がり、病室から出て行く。彼らが行くことで、この病室でリミュと二人きりというのはなんとも不安であったが、去り際に振り向いたレコをメトは笑顔で見送った。

「ふぅ……」
「……」
 そして病室を満たすのは、静寂。
「……えっと」
 とりあえずさっきまで彼が座っていた椅子を自分の方へ持ってきて座ったものの、話題が無い。それに緊張のためか、何から切り出そうと考えても全然考えはまとまらなくて、そわそわするばかりだ。傍から見ればきっととても落ち着きが無いように見えるだろう。
「メト君」
「は、はい?」
 もやもやしてる中に突然呼びかけられて、裏返った声で返事をしてしまった。居眠りを先生に注意されたみたいでちょっと恥ずかしい。
「ふふ……今日は来てくれて、どうもありがとう」
 その様子を微笑ましく思ったのか、リミュは少し微笑んで頭を下げてきた。一瞬メトはきょとんとしたが、慌ててこちらも頭を下げて返す。
「ここ最近、友達ができたーって嬉しそうにしてたの。 やっぱり君のこと?」
「え、は、はぁ……多分」
 猫人に友達は居ないとレコは言っていたし、彼と一緒に居る犬人なんて見た事もないのだからきっとそうなのだろう。
「そう……てっきり猫人かと思っていたけれど、まさか犬人だったなんて……ちょっと驚いたわ」
「聞いてなかったの?」
「ええ、今度紹介するからって、名前も種族も教えてくれなかったの……よっぽど嬉しかったんでしょうけど」
「へぇ……」
 自分が友達で嬉しいと、そんなこと今まで思われていたなんて、全然考えたことも無かった。もう、レコで友達で居るのはメトにとって当たり前の事だったから、改めてそう聞くと恥ずかしい。とりあえず鼻の頭をかきつつ、気になっていたことを聞いてみることにする。
「あー、えっと……その、小母さんは犬人が嫌いじゃないの?」
「え? ええ、もちろん嫌いじゃないわ。 昔あの村にいた頃の恋人も犬人だったぐらいだし……」
「こっ、恋人ぉ!?」
 さらっととんでもないを言われて思わず大声を出してしまったメト。世界で見れば違う種族での恋人同士なんてそう珍しくも無いものだが、種族間の友情すら珍しいドギークラウンでの話となるとまた別だ。その存在は珍しいを通り越して貴重ですらある。
「そんなに驚かなくても……やっぱり珍しい?」
「う、うん……だって、友達同士の奴はたまに見かけるけど、恋人同士なんて……」
 苦笑するリミュに対し、メトは興奮したかのように同意のうなずきを何回も返した。
「でもね、結局その頃はまだ猫人に対する弾圧がひどくてね……別れちゃったの」
「そうなんだ……」
 表情にかげりが見え、そのままリミュは窓の方を向いてしまう。彼女の寂しげな背中は初めて見るものなはずなのに、どこかで見たような気がする。それが、バスの中でのレコの姿だと思い出すまでにそう時間はかからなかった。
「あの、相手の人は……どうなった、の?」
「……」
 好奇心が抑えきれず、つい立ち入ったことを聞いてしまう。メトはすぐに自分の発言を後悔したが、別段リミュは怒ったようには見えなかった。あくまでも穏やかで在る彼女は、窓から差し込む光と相まってどこか儚く感じる。
「私は、別れた後すぐにあの村を離れたから……分からないの」
「そ、そうなんだ……」
 視線を窓から戻し、憂いを含んだ目でこちらを見つめてくるリミュに、メトは目を逸らさずじっと見つめ返す。やがて彼女はふっと笑い、表情が緩んだ。
「不思議ね、君とは初めて会ったのに……レコにも話してないこんなことを話すなんて」
「え? じゃあ、レコ……レコ君はこの話を知らないんですか?」
 子供の自分に話すぐらいだから実の息子であるレコにも当然話していたのだろうとメトは考えていたが、違ったようだ。
「ええ。 知ってるのは当事者である私たちと、夫ぐらいなの」
「何で……そんな話を俺……僕に?」
 当然の疑問をリミュにぶつけてみるが、苦笑をもらして分からない、という風に彼女は首を振って答えた。
「さあ……今まで昔の恋人が犬人だったなんて誰にも言ったことなんてないのに……どうしてかしら」
「うーん……」
 誰にも、息子にも話したことの無い話。それが何故今自分に話されたか、うつむいて考え込んでもさっぱり分からない。おそらくリミュも、はぐらかしているのではなく本当に分からないのだろう。
「あの……」
「?」
 とりあえず答えが出そうに無いものを考えていてもしょうがないので、メトは顔を上げて別の話題を振ってみることにする。このままだとまた重苦しい沈黙に包まれてしまいそうなのもあるが。
「……レコ、君のお父さんって一体どういう人なんですか?」
「呼び捨てで構わないわ。 いつもそうなんでしょう?」
「う、うん」
 君付けで呼ぶことに慣れていないためか、つっかかってしまうメトを微笑ましく思いながら、リミュは優しく諭した。見通されたことが恥ずかしかったのか、目の前の少年は尻尾を垂らしたままうなずいてその頭をしきりにかいている。

「……あの子の父親は……あの子が2歳のころに死んでしまったわ」
「え……?」
 一息置くと、リミュはメトが予想もしていなかった言葉をぽつりともらした。すぐには信じられぬその声に、頭をかいていた手は止まり、目は彼女へと向けられる。
「死ん、だ……?」
 凝視したまま、メトはゆっくりと言われた言葉を反芻する。飲み込みづらい現実を、必死に噛み砕くように。
「ええ、あっという間だった……」
「あ、そ……その、ごめんなさい」
 先ほどの柔らかい微笑とは対照的な、硬く強張った表情。が、気まずそうに謝るメトに我に返り、すぐにふっと微笑んでみせた。それは先ほどの笑顔と違って、とても寂しそうだったが。
「いえ、いいの……ただ」
「?」
「あの子は今、家で一人だから……」
「他の、家族は……?」
 まさか、と思う問いに、リミュはゆっくりとうなずいて返す。ふっと、部屋の中に差していた光が途切れ、たちまち病室は薄暗くなった。まるで人が存在しない、レコの家のように。
「……」
 何日、いや何ヶ月レコは自分しか居ない家に一人だけで住んでいるのだろう。もしかすると、その期間は一年以上かもしれない。そんな彼の胸中を思うと、何故だかとても切なくなった。
「ただいま」
「……!」
 と、そこに聞き覚えのある明るい声が入ってきた。声こそ上げなかったものの、内心驚いたメトは全身の毛を逆立てて反応している。相当に驚いたようだ。
「あ、お、おかえり……レコ」
「……おかえりなさい」
「? どうかした?」
 硬い笑顔の友達と苦笑する母に迎えられて、何事かと首をかしげるレコ。だが、二人とも何でもないという風に首を振って答えた。
「ふぅん……?」
「ところで足は? 大丈夫?」
「うん、ちょっと痛いけど歩いても大丈夫だって」
 メトに尋ねられ、はにかんだ笑みを浮かべてレコは治療されて包帯が巻かれた右足を見せてきた。中には湿布が張ってあるようで、鼻を少し近づけると独特のすーっとするにおいが漂ってくる。
「そういえば先生は……」
『先生、廊下は走らないでください!』
「急いでるみたいだよ」
「……みたいだな」
 看護婦の怒声と、アガの言い訳しているような声が廊下の奥へと遠ざかっていく。呆れて目を細めるメトに、いつもの事だと言わんばかりにレコは首を振って見せた。だらしない格好に違わず、大雑把な性格なようだ。
「レコも、走るなよ?」
「うん、分かってる」
 レコに限ってそんな事をするとは思わないけれど、一応釘は刺しておく。心配ない、と言うように笑顔で返してくれたが、怪我をさせた事が心に引っ掛かっているのか、メトの表情は晴れない。
「そんな心配しなくても大丈夫だってば」
「ああ……」
 と、思って声をかけてみれば生返事。よく見ると彼の視線はレコに向かってはいるが、その目に向いていない。レコの体の、ずっと下、先ほど処置を受けたふくらはぎの部分だ。
「や、やだ……あんまり見ないでよ、恥ずかしい」
「あ、ご、ごめん」
 言われて気付いたのか、ばつが悪そうにメトはそっぽを向いてしまう。その目に入ったのは、

「あ、もうこんな時間……」
「ほんとだ、早いなぁ」
 気がつけば時計は帰りのバスの時間が迫っていることを知らせている。まだ日は高いが、ドギークラウンへの運行本数が少ないためにこれに乗り遅れると次は夕方に来るバスとなってしまう。交通の利便性が上がったとはいえ、まだまだなのも確かだ。
「さて、と」
「うん」
 自然、帰らなくてはと言う思いの下に二人は椅子から立ち上がる。昼下がり、窓に差す光はますます強く、冷房が程よく効いている部屋とは違って暑いだろう。
「持ってくるものは何かない? 洗い物はこれだけ?」
「うん、それだけよ。 でもこの病棟はランドリー設備があるんだから……別に家まで持って帰らなくても」
「ダメだよ、無料じゃないんだから少しは節約しないと……」
「そんなにお金のことは気にしなくていいのに……」
 暑い外に思いを馳せるメトの脇では母子がやり取りしてる。洗い物、と言うからには下着とかだろうな……とそんな考えがよぎり、気づいたメトは慌てて思考からその考えを払うように頭を振る。
「……? どうしたの?」
「い、いや、なんでもない……」
 急に頭を振るメトに虫でも耳に入ったのかなとレコはまったく見当違いな事を考えていた。しかし当のメトは下着という言葉だけで女子の言葉で言う『いやらしい』想像をしてしまった自分が恥ずかしくて、鼻の頭をかきながらあさっての方向を向いている。
「それじゃ、母さんまたね……」
 分かれるのが惜しいのだろう。はたから見ても分かるほどにレコの顔には寂しさが表れている。
「ええ……メト君、いつでもいらっしゃいね」
「ありがと、小母さん。 それじゃ……」
 そんな彼の肩を叩きながら病室を出ようとすると、思い出したかのようにリミュが呼びかけてきた。
「あ、ちょっと待ってメト君」
「え?」
「どうしたの?」
 二人そろって振り向くと、彼女はじっとメトの方を見つめており、動こうとしない。真剣な顔つきで見つめられ、思わずメトはどぎまぎしたが、数秒間の後、ふっと微笑み、こちらに深々と頭を下げてきた。
「レコのこと、よろしくお願いしますね」
「え? あ、は、はい……」
 丁寧な対応にたじろぎ、こちらも遅れながらも頭を下げて応える。何か自分に期待されているような、そんな気がした。
「その子、寂しがり屋だから、ね……」
「……」
「はい」
 少しだけおかしそうに笑うリミュに、レコは何も反論せず、恥ずかしそうに耳をいじっている。
「それじゃ、行こうか」
「あ……うん」
 メトに手を握られ、部屋の外に出たが、やはり名残惜しく、もう一度だけ病室を振り返ってみた。そんな息子の感情を見透かしたかのようにリミュは笑って手を振っている。
「……ばいばい」
 自分の手を握ってくれているメトがいるから、母親の見送りも今日はいつもより寂しくない。だから、遠ざかりながら小さく手を振るレコの顔は笑っている。
 友達の手は温かくて、柔らかかった。


『ご利用ありがとうございました〜』
 機械の扉が開き、中から二人が降りてくる。ほんの数時間しか離れてなかったのに、久しぶりに帰ってきたようにメトは感じた。しかしそんな感傷などどこ吹く風、バスは再び土煙を上げて走っていく。
「ふう……レコ、足まだ痛むんだろ?」
「え……う、うん」
「送ってやるから、ほら」
 と、メトはしゃがんでレコに背中を差し出す。
「で、でも大丈夫だよ。 病院でも歩いてたでしょ?」
 しかし治療されたとはいえ痛むのは事実で、一緒に歩いていて彼が右足をかばうような不自然な歩き方だったのを、今度は見逃してはいなかった。
「いいから乗って」
「あう……うん」
 そっとメトの背中に乗って、その首に自分の手を軽く回す。するとすぐに彼は立ち上がり、ずり落ちそうになって慌てて強くしがみついた。密着してしまってなんだか恥ずかしいけど、メトはそんなことお構いなしに自分が示す方向へと歩き出す。
「結構軽いな、お前……」
「そ、そうかな……」
 予想以上にその体は軽く、首に回された腕も細い。身長の差はあんまり無いのに、体格は結構違うんだ、等と考えながらレコの示す道のりをひたすら歩く。
 夕暮れといえども初夏の日差しは厳しく照りつけ、二人の体が密着していることもあって汗がすぐに噴出してくる。レコが持ってきたタオルで時折汗を拭いてくれるのでそれほど苦行にはならないが、時折汗が目に入って痛い。

「お前さ、本当に猫人の友達っていないの?」
 住宅街からやや離れた位置に差し掛かかり、住宅よりも木々が周りに増えはじめた頃、メトは先ほどから気になっていた疑問を口にした。途中、犬人に出会いやしないかと内心どきどきしていたが、どうもその心配はなさそうだった。
「え? う、うん……」
「おっかしいよなあ……お前みたいな性格だったら、もっと友達居てもおかしくないのに」
 メトの中でレコの性格は『おとなしいが、人懐っこい』と印象付けられている。特に性格が悪いと言うわけでもないのに、何故犬人である自分以外に友達が居ないのか、不可思議であった。
「う〜ん……行くときも言ったけど、僕が猫人と関わり持たないからだと思う」
 そういえば、レコが猫人と話してるところなんてこれまでほとんど見たことが無い。あるにしても、それはクラスでの活動などで話し合っているときぐらいだ。
「なんで関わらないんだ?」
つんつん……ぴこ
「だって、僕が話しかけても皆もじもじするばかりでまともに話せないんだもん。 これって嫌われてるんじゃないのかな?」
 はぁ、と大きなため息を一つついて、ちょっとだけ体を震わせるレコ。暑いのかタオルを取り出し自分の頭に当てる。木々が多いものの、森と言うほど深いところでもないためか、まだまだ日差しはかげることなく彼らを照りつけていた。
「……っつーことはつまり、嫌われてると思ってるから、話しかけて、ない?」
「うん」
つんっつんっ ぴこぴこ ぴこぴこ
「でも、嫌われてるならあの3人も……って」
「ん?」
 気づけばしゃべりながらレコはメトの耳をつついて遊んでいた。触れるたびに反射で払うような動きをする耳が面白いのか、さっきからいじっている。
「『ん?』じゃねえよ! 人の耳で遊ぶなっつーの!」
「えー・・・だって可愛いし……面白いよ?」
「『よ?』でもない! 尻尾にしろ尻尾!」
 すっかり話していたことを忘れて抗議を始めてしまうメト。自分の尻尾を示し、ぱしぱしと背負ったレコの背中を叩く。レコも何気にこういったスキンシップが好きで、二人で遊んでたりするとメトの尻尾をよくいじったりするのだ。ふわふわした感触が落ち着くと言う。
 最初こそ嫌がっていたメトも、今ではすっかりあきらめて、尻尾がいじられることは(頭をなでることのあいことして)黙認しているが、耳は気が散るので嫌なのだ。

「……そういえばさ、俺と一緒にボール取りに来てた3人がいたじゃん」
「うん」
 何を話してたのか忘れたが、とりあえずあの3人のことまでは思い出せた。それ以上は複雑で難しい事だった気がして、思い出すには時間がかかりそうだ。
「あいつら、俺がお前と友達だって分かったらなんかすごく驚いてたんだよな……なんでだろ?」
「ああ……多分、メト君が猫人嫌いだと思ってたからじゃない?」
「何で?」
 メトには何でそこまで驚くのかさっぱり分からなかった。猫人は集団より個人を見る種族のはずなのに……。
「だって、ニルバ君のグループにいるでしょ?」
「……あ、そうか」
 そういえば自分が属している集団については考えていなかった。そりゃあ、猫人嫌いのグループの中にいたら誰だって彼らが嫌いだと思われても仕方が無い。
「グループ……抜けようかな」
「ホント?」
「うん……何か、こそこそレコと仲良くしてるのも、気が引けるし……」
 今まで二人が人前で何か話したり、一緒に帰ったりすることは殆ど無かったから、その考えはレコにとってうれしかった。しかし、メトにとっては重大な決断だ。その決断は、おそらく犬人達の中で自分を孤立させることになる。ライルとクィードは、黙っていてくれるだろうか―――?
「……」
 先行き不安な想像に、それっきりメトは黙ってしまった。なんとなく、レコも彼が悩んでる事を察して、大人しくその顔をメトの髪の毛にうずもれさせた。見慣れた道、いつも一人で通る道、友達と一緒に通れて嬉しいはずなのに、なんだか辛い。
「あ、あそこが僕の家だよー」
「え? ああ、あそこか……」
 ちょうどいいタイミングで家が見えてきた。重苦しい雰囲気がいつまでも続かずにすんで内心ほっとするレコ。その指差した先には、木に囲まれた2階建ての一軒家。とてもではないが、裕福とは見えない。
 場所としては大体学校から5分と言ったところだろうか。来るまでに10分ぐらいかかったのはレコを背負っていたためで、実際はもっと早く着くはずだろう。
「よっと……はぁ、疲れた」
 玄関の前でそっとレコを下ろすと、メトは首を鳴らしてようやく一息つけると言わんばかりに軒先の手ごろな石に腰を下ろした。木陰に配置されているので日が差さなくて涼しい。
「ごめんね、疲れたでしょ? 上がって行けば?」
「ん……いや、あんまり遅くなると母さんに心配かけるし」
 せっかく誘ってくれたのに悪いな、と手を振って表す彼に、レコも無理に勧めることはできず、苦笑して肩をすくめるだけに終わった。
「じゃ、ちょっと待ってて……」
「ん?」
 まだ少し足を引きずっているように見えるが、いそいそとレコは家に入っていった。何か冷たい物でも持ってきてくれるのだろうか―――ちょっとそんな期待をしてみる。
 とんとんとんとん……階段を上る音が聞こえた。二階にレコの部屋があるんだなと疲れた頭で理解しつつ、木陰に居ても出てくる汗をぬぐう。

 そして、ものの3分もしないうちにレコはやってきた。その手には期待通り缶ジュースが握られている……が、左手にも何か握っているようだ。
「お待たせー」
「おー……冷える冷える、気持ちいー……。 んで、何それ?」
 渡された缶ジュースはまるで氷のように冷えていて、火照った頬に心地よい感触を与えてくれる。その冷えた感覚を楽しみながら、レコが左手の平に乗せている綺麗な石にメトは注目した。
「んっと……えっと……これ、あげる」
「?」
 レコはもじもじしながらも手を差し出し、その小さく綺麗な石をメトは受け取った。青く淡い輝きを放つ、透き通った石……ガラスとはまた違うようだ。ガラスだったら傷がついてるし。
「……これ、何?」
「と、友達の証、みたいなもの……」
「へぇ……でも、これ宝石とかじゃないのか?」
 こんな綺麗な石と言ったら、メトに思い当たるものは宝石ぐらいしかない。当然、そんな高価なものをもらうわけにはいかなかったが、ふるふるとレコが首を振ったことから、そうではないらしい。
「そんないいものじゃないよ。 物としてはお守りに近いけど……」
「そっか……分かった。 ありがとな」
 言いつつまたはにかんだ笑顔のレコを見て、メトは大事なものを守るように手のひらの青い石をぎゅっと握り締めた。
「ううん、こっちこそ……受け取ってくれて、ありがと」
「それじゃ、また学校で」
「あ、メ、メト……君」
 石から立ち上がり、背を向けた彼を遠慮がちにレコは呼び止める。まだ行って欲しくない、と言うかのように。
「……また、会えるだろ?」
「そ、そうだけど」
 振り向き、彼の胸中を見透かしたかのように、ふっと微笑んでみせる。だがそれでも表情の晴れないレコを見て、母親の言うとおり、本当に『寂しがり屋』なんだなと思った。
 だから、なでてやる。
「ん……」
 嬉しそうに目を閉じ、レコは頭をなでられる感触に身を任せる。荒っぽいなで方だけど、それでも奥にメトの優しさを感じて、心地よかった。
「……なあ」
「に? なにメト君?」
「その、メト君って、君ってつけるのやめてくれよ」
 なでていた手を止め、照れくさそうに頬をかくメト。何故か、このごろ君づけで呼ばれることに違和感を覚え始めていたのだ。それはおそらく彼を、本当の友達として認識し始めたからなのだろう。
「え……と、じゃあ、呼び捨て?」
「うん。 メト、って呼んでくれよ」
「うん……メトく……メ、メト」
 本当に呼び捨てにしてもいいものか迷ったが、戸惑いつつもレコは彼の名を呼ぶ。すると、満足したかのようにメトは満面の笑みを浮かべて頭を叩いてきた。
「これから、そう呼んでくれよな」
「うん……分かったよ、メト」
 彼の笑顔に釣られて、レコも笑う。まだ少し抵抗があるけれど、呼び捨てにできるほどメトと親しくなれた嬉しさの方が大きく、気にならない。
「じゃあ、またな」
「また、ね」
 手を振って別れを告げると、メトはきびすを返して今来た道へと戻り始める。途中振り返る彼に手を振りながら、レコはその後姿が緑に隠れて見えなくなるまで見送るのだった。



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