メトとレコ・第5話

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5.『離別』

 レコと病院に行った翌日の放課後。暑さに耐えながら校舎裏手の林へと向かうメトの姿があった。クラスの嫌悪派グループの集まりがあるということで呼び出されたのだが、何も悪い知らせを聞いたわけでもないのにその顔は苦しそうである。
「暑いなぁ……一体何の話なんだか……」
 それもそのはず、日没が近いとはいえ夏の日差しは容赦なく背をあぶり、歩くだけで体中がじっとりと汗ばんでくるのだ。季節柄日を追うごとに暑くなるのは分かるが、あまり耐えられるものではない。自然、早く涼しげな木陰に入ろうとメトの足は速くなった。


 少しばかり日向より涼しい林を奥に進んでいくと、ぽっかりと一部分だけ開けた場所が見えてくる。そこが指定された嫌悪派の集合場所だ。既にリーダーであるニルバの他、数人がそこに居るのが確認できる。
「あれ……少し遅れたのか?」
「いや、そうでもない」
 集合していたのは数人かと思ったが、改めて見るとそこには既に8人全員がそろっていて、メトを遅れたのかと勘違いさせた。しかしライルが大丈夫だと言うようにそれを否定してくれ、少し肩をすくめる。
「なんだ……皆集まるの早……」
「そんなことよりも」
 安心した気持ちを打ち砕くように、他の犬人よりもふたまわりほども体格の大きいニルバが低い声でさえぎった。『笑顔を絶やさない』と猫人に噂されるとおり、貼り付けたような笑顔がメトを威圧する。
「……ど、どうしたんだよ」
「聞いたよ、君、猫人と友達なんだって?」
「え!? あ、いや……それは、誰がそんなことを?」
 背筋に冷たいものが流れる感覚。気がつけば、メトはこの前までは鼻先で笑い飛ばしていたであろう質問に、分かりやすい反応を示していた。
「昨日の試合の後猫人のチームはその話題でもちきりだったんで、嫌でもこっちの耳に入ってきたんだよ」
「お前が、レコって猫人と友達だってさ」
「クィードもそうだって言ってたしな」
「そ、それは……」
 ニルバとは違い、敵意と疑念をむき出しにした周りの犬人達は冷たく言い放つ。彼らの顔は、ふざけて絡んでくる時のそれとは明らかに違う。その顔と悪意は、全て本気でメトに向けられたものなのだ。空気を感じ取り、身震いして思わずクィードの方を振り向けば、彼もまたこちらを怒りにぎらつく瞳で睨みつけている。
 そう、彼は今―――『敵に囲まれている』のだ。
「どうなのかな?」
「俺はそんな……」
 今にも掴みかかってきそうな犬人を片手で制しながら、極力相手を威圧しないように優しい態度で話しかけるニルバ。しかし、頭一つ分以上の身長差があってはその努力も無駄に近く、目の前の彼は警戒するように姿勢を低くし、追い詰められるように後ろに下がっていた。
「……」
「違うよねえ?」
 念を押すように顔を近づけるニルバから目をそらし、メトは迷いの表情を見せた。違うと言えばこの場は収まり、自分は今まで通りの日常に戻れるだろう。―――レコが居ない、居なかった日常に。
(本当に、それでいいのか?)
 確かに自分の立場を考えればそれが安全だが、頭にレコの顔がちらついて離れない。彼とは短い付き合いだが、同じ犬人達と遊んでいる時とは違った楽しさがあった。捨てろと言われて捨てられるものではない。無論、それだけではないのだが、この事態を招いたのは自分が軽々しくレコと友達であると言ったからだ。それを見ぬ振りして今までどおりの付き合いを望もうなど、都合がよすぎる。
「どうなってんだ……」
「なんで黙ってるんだ?」
「やっぱそうなのか?」
「……あのバカ」
 二人を取り巻く犬人はそれぞれメトが何も言わないことにざわめいていた。疑念は最早確信に変わりつつあり、クィードに至っては牙を剥いて怒りを隠そうともしない。
(メト……)
 そんな中ライルだけは、彼がひどい葛藤の中にあるのだと理解していたが、その心情など露知らず、周りの怒りはただひたすらに上昇するばかり。彼はそれを、ただ黙って見ていることしか出来ず、歯を噛み締めていた。
「何とか言……」
「よく分かったよ、メト……僕のグループから抜けると言うことだね?」
 問い詰めようと近づいてきた一人を大きな手でさえぎり、冷笑を浮かべてニルバは聞いてくる。先程の態度とは打って変わって思い切り威圧するように。その言葉は助け舟などではなく、彼を見限ったことを示していた。
「……」
 嫌悪派――ニルバのグループ――に居るにあたり、守らなくてはならないルールが暗黙の了解として存在する。その中で最も基本的で最も重要なもの―――すなわち、猫人と関わり合いを持たないこと。
「……」
 そのルールから言えば、彼らと友達であるメトの存在は、グループに居ていいものではないのである。無論、メトもそんなことは理解している。それゆえに彼は悩み、昨日はレコにも言ったようにグループを抜けようとも考え始めていた。
「……ああ」
 長い沈黙の後、葛藤を断ち切るように彼は首を縦に振った。目はうつろで、悲しみに染まった表情が普段の明るい表情と対照的だ。
「そうかそうか、仕方ないよねぇ……何と言っても猫人と友達なわけだし」
「う……」
 小さく返事した彼に、ニルバは嫌味たっぷりな言葉を貼り付けた笑顔のまま投げかける。その言葉に怒りを感じるよりも早く、本能的な恐怖とでも言うようなものがメトの背筋を走った。底が知れない彼の笑顔に、全身の毛がまるで逆立つようだ。
 張り詰めた雰囲気の中、緊張して体を硬くしていると、思わぬ方向からその空気は破られた。
「やっぱり裏切るんだな」
「……く、クィード……」
 クィードが発した言葉は冷たく、鋭利なナイフのように容赦なく心に突き刺さる。『裏切る』……そう、確かに自分はレコと友達で―――それが後ろめたかったのは事実だ。しかし、その行為が具体的にどんな言葉で表されるか考えたことはなく、まさしく虚を突かれた格好になった。
「俺は、そんなつもりじゃ……」
 言い訳など出ないが、なんとか弁解しようとする彼の胸倉を掴んで、クィードは強引に引き寄せる。
「コソコソ猫人と仲良くしておいて何が! 昨日聞いた時はただの気の迷いだと思ってた! 友達だって認めても、お前なら絶対こっちを選ぶと思ってた! なのに! これが裏切りでなくてなんだってんだよぉっ!」
「それは……っ!」
 牙をむき出しにして文字通り噛み付かんばかりの剣幕でがくがくと揺さぶるクィードに、メトは何も言い返せない。その目は怒りだけではなく、悲しみも入り混じっていて、胸を締め付けてくる。親友であるはずのクィードと、どうしてこんな風に向かい合わなければならないのか?どうしてこうなってしまったのか?そんな考えが頭の中を渦巻いて、考える余裕すらもなかった。
「あんなのと友達だなんて、ふざけるな!」
「猫人に尻尾を振って何が楽しいんだよ!」
「み、みんな……」
 昨日まで友達……仲間であった犬人達が、周りから次々と悪意ある言葉を投げかけてくる。こうなった原因はただ一つ、『猫人と友達になったこと』だけ。それは確かにグループ的……嫌悪派としては悪いことなのだろう、が、根本的に間違っているかと問われれば、メトの答えは違っていた。
(やっぱり、俺は―――)
 と、その時
「楽しいのかって聞いてるんだよ!」
「うわ!?」
 うろたえるばかりで何も語ろうとしない彼に業を煮やし、胸倉を掴んだまま彼を地面に押し倒した。
「何とか言えよっ!」
「クィード……」
 無抵抗に地面に倒されたメトに、肩を押さえつけて鼻が触れ合うほどの距離にまで顔を近づける。牙がむき出しのクィードの険しい顔とは対照的に、暗く悲しそうな顔。普段であればその表情を見て罪悪感を覚えたであろう。しかし、今それを考える余裕もないほどその頭には血が上っていた。
「どうして猫人となんだよ! なぁ!」
「……悪いとは、思ってるよ。 でも」
「でも……?」
 急に表情を引き締めて、真正面からクィードの顔を見据える。強い光が宿った目に、思わず押され、毒気が抜けかけた、が。
「俺は、やっぱりあいつを裏切れない」
「……は?」
  一瞬静まり返る空気。続いて林を揺るがすかのように響き渡る怒号。それはそこに居る犬人達の声、裏切りに対する激しい怒り。
「この……バカがぁっ!」
 途端、鋭い痛みが頬を襲い、彼はまともな声にならぬうめきを上げた。
「クィード……!」
 メトの言葉をクィードの脳が理解した瞬間、怒りは抑えがつかぬほど膨れ上がり、気がつけばその顔面を殴りつけていたのだ。だが、気づいたからといって怒りが収まらぬはずも無い。それは他の犬人達も同じようで、裏切り者を取り囲む輪は崩れ、倒れ伏す彼に群がっていく。『制裁』のため。
「猫人がそんなにいいのかよ! 俺たちを裏切るぐらい!」
 怒りと悲しみが混じった声を上げながら、無理矢理メトを立たせて、力任せに拳を叩き込む。
「ぐっ……ゲホッ!」
 衝撃と鋭い痛みに思わず咳き込むも、おとなしく空気を吸わせておくべきかと言わんばかりに次々と犬人の腕や足が襲い掛かってくる。
「メト! や、やめ……!」
  取り囲む輪を外れて、一人メトに群がる彼らを収めようとするライルの肩を、大きな手が掴んだ。思わず振り向いたそこには、おかしそうに笑うニルバの顔。
「あれは、仕方のないことなんだよ。 僕のグループから抜けると言うことはつまり、ああなるって……分かっているはずだよねぇ?」
「く……」
 掴んだ肩をぎりぎりと締め付けながらも、彼は裏切り者が制裁……『処刑』される様を心から楽しんでいるようだった。そしてその笑いは、ライルに対する警告でもある。
―――止めればお前もメトと同じ目にあう、と。
「う……ぐあっ」
 何も出来ない無力な自分の耳に、彼が絶え間無く上げる低いうめき声が苛むように入ってくる。無抵抗な彼の姿が、痛々しかった。


 やがて、数分も経たずぐったりと動かなくなったメトを見て、冷静になった彼らはさすがにやりすぎたと思い、慌て始めた。一番怒り狂っていたクィードもまた、彼の無残な姿に毒気を抜かれ、他の犬人達と同じくうろたえ、責任を押し付けあうばかり。
「……後は僕とライルがやっておくから、君たちは帰ってくれるかな」
 混乱の中、ニルバのはっきりと通る声がその場に響き渡った。ざわめきはすぐに収まり、全員の視線がリーダーに集中する。その殆どが、『助かった』と言う色が顔にありありと表れていた。
「ニルバ……でも俺は……」
「聞こえなかったかな……僕は『帰れ』と言っているんだよ」
 一人食い下がろうとするクィードに、その年齢には不釣合いすぎる迫力で威圧するニルバ。笑顔でありながら、彼をおとなしくさせるのにはそれで十分であった。
「う……わ、分かったよ……後は頼む」
 その言葉を合図に、犬人達は次々とその場を去り始める。彼らは一様に沈痛な面持ちで、誰一人として何も語ることなく、林の中へと消えていった。
「……メト、大丈夫か」
「あぁ……なんとか」
 やや間を見計らって、ライルがメトに声をかけると、細い声が返ってきた。力なく開かれた瞳には光が宿っておらず、虚ろに空を見つめている。
「今手当てを……」
「ライル、彼はもう僕らの仲間じゃない……関わるのはよすんだ。 分かるだろ?」
「ニルバ……!」
 手当てをしようとするその手を掴み、首を振るニルバ。
「……ああ、俺はもうお前らの仲間じゃない……だからお前に心配される筋合いなんて、ねえんだよ」
 起こした身体を近くの木にもたれさせながら、わざと突き放すような言葉をメトは口にした。
「メト……」
「分かっただろ? 彼はもう猫人の側なんだよ。 あの、ランバートと同じく、ね……それに君もこれ以上メトをかばうなら、グループから出て行くことになるよ?」
「っ……」
 ニルバの言葉が手を差し伸べようとする彼の胸を容赦なくえぐる。友達であったメトが、いや、今でも友達と思っている彼が、反目する側の人間だなどと考えたくはなかった。
 しかし、たった今グループから離反した者へ与えられた『制裁』を見た彼に、それ以上手を差し伸べる勇気はなくて、伸ばしかけた腕は力なく垂れ下がる。
「じゃあな、ライル」
「……」
 そんな彼の葛藤は、メトにも痛いほど伝わっていた。それは先日までの自分と同じ悩みでもあるのだから。だからこそ、こちらに来ないように突き放す。
「行くよ」
「……ああ」
 もう用は無いと言わんばかりにメトを一瞥すると、ニルバは踵を返した。ややためらったものの、ライルは置いていかれないようにその後を付いていく。やりきれない顔で、何度も後ろを振り返りながら。しかしメトは顔を伏せ、去り行く彼についに目を合わせる事は無かった。
(……早く行っちまえよ、馬鹿)
 ―――目が合ったら、泣き出しそうだったから。

 ぽた ぽた ぽた

 頬を小さく打つ感触。ふと見上げればいつの間にか晴れていた空は重くのしかかるように曇り、雨が降り始めた。ずきずきと痛む体に、水のひやりとした感触がとても心地よい。
「うっく……う……うぅっ……ふ……ふふ……」
 再び空を見上げると、雨粒が次々と顔に叩きつけられ、視界が滲んでいく。それが涙混じりであることに気付くのに、そう時間はかからなかった。しかし漏れる嗚咽はやがて別のものへと変化していく。
「ははは……はははははは……はははははははははははは!」
 涙と雨で顔をぐしょぐしょに濡らしながら、急速に闇に飲み込まれていく林の中、自嘲気味な笑い声がいつまでもこだましていた。



「ひどい雨……今日は晴れたままだと思ったんだけど……」
 図書室―――激しさの増した雨がざあざあと窓枠に叩きつけられる中、窓越しに一人レコが外を見ている。壁に掛けられた時計は、メトに待っていろと言われた時間からもうずいぶん過ぎていた。彼が戻ってくるまでこうして本を読みつつ待っているわけだが、それももう読み終えてしまった今では暇で仕方がない。
「メト……忘れてないよね……」
 ちょっと不安になったが、すぐにそんな考えを振り払うようにレコは首を横に振る。毎日一緒に帰ったりしているわけでは無いけれど、彼に限ってそんな事は無い……と、根拠の無い自信があった。
「約束、したもんね。 一緒に帰ろうって」
 それにしてもこうも遅いと気がかりではある。何かあったんだろうかとちょっと心配になったレコが外を覗こうと廊下に顔を出したところで、足音が聞こえ始めた。
「あ……」
 図書室近くの階段から聞こえるその音は、ゆっくりと間を空けて響き渡り、段々とはっきりしてくる。いつも軽快に走り回るメトの足音とは対照的な、重々しい音。
「メト……?」
 折からの雨と、電灯がついていないため、廊下は既に真っ暗闇で、図書室から漏れている光が届く範囲以外はかなり見えにくい。階段を上がりきった人物の影がようやく判別できたが、それが誰かまでは分からず、まっすぐこちらに向かってくる『誰か』に思わず身を硬くする。
「だ、誰……?」
「……」
 影はまるで光が漏れている図書室に引き寄せられるかのように無言で近づいてくる。恐怖と不安に支配されたレコが後に下がろうとした、その時。

 カッ! ドドォーーーン!!
 一瞬空がきらめいたかと思うと轟音が校舎全体に響き渡り、ビリビリと建物を震わせた。
「……!!」
 いつものレコであれば、その音に耳をふさいでうずくまってしまったことだろう。しかし、今は少し顔をしかめただけでそうすることをしなかった。
 雷光が一瞬照らし出した『誰か』の顔が、意外な人物であったからだ。
「き、君は……」
 レコがその人物に声をかけようとしたとき、図書室の電気が、いや、校舎全体の電気がぶつりと消え落ち、二人は暗闇に取り込まれる。


 雨は、その勢いをさらに激しくさせ、吹き荒れる風と共に嵐になろうとしていた―――。



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