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8.渦中(前編) (……まぶしい) まぶたを閉じていても尚感じる光の刺激。その激しい日光によってか、眠りの中から引き戻されたメトはゆっくりと目を開けた。 (窓、開いてたっけ?) 片手で顔を覆い、まぶしさに目を細めながら上体を起こすと、ようやくまともに周りが見えてくる。病室ではない、見慣れた自室の風景。窓の方向に目をやると、閉まりきっていないカーテンから日光が漏れていた。 「ふぁ……」 抜けきらぬ眠気にあくびを促されながら、メトはベッドから降り、よろよろと窓辺に寄る。その手足に、巻かれていたはずの包帯の姿は見えない。 (いい天気……) シャっと軽快な音を立てカーテンを開け放つと、夏の日差しが部屋の中を照らし出す。きっと今日も暑くなるのだろう―――青々と茂った間近の木を見ながら、そんなことを思った。 「ん〜〜〜っ……あいたたた」 いつものクセで背を伸ばすと、体のあちこちが痛む。外傷はほぼふさがったがまだ中は治り切っていないようで、あまり動いてはダメだ、と医者には言われている。不便でしょうがない。 「あ、こんな時間か」 入院から1週間、寝てばかりの生活が続いたためか、家での過ごし方を少し忘れてしまったらしい。いつもであれば鳴っていたはずの目覚まし時計はその役目を果たさず、静かに机にたたずんでいる。 「メトー、ごはんよー」 目覚ましは鳴っていないと言うのに、分かっているかのようなタイミングで母の声。下の階まで響くような物音を立てた覚えはないのだが。 「はーい」 とりあえず一声返事をすると、メトは少し目をこすって枕元にある服に着替え始めた。薄いパジャマを脱ぎ捨て、これまた薄い夏用の服に着替え始める。用意してあったものは、Tシャツ一枚に、短パンと言ういかにも少年らしく、暑い日でもそれなりに過ごしやすそうなものだ。 だが、 「……」 あらわになった怪我の痕―――不ぞろいな毛並みや、未だ各所に張り付いている湿布など―――を見ると、とてもそんな服を着る気にはなれなかった。恥ずかしいのはもちろんだが、見るたびにあの日のことを思い返してしまうと言うのも大きい。 「はぁ……」 溜め息をつきながらあっという間に服を脱ぎ捨てると、半裸の状態のままクローゼットに頭を突っ込む。とは言え衣替えをしたその中身は同じような服装も多く、選ぶ物は限られているわけで――― 「これでいいか……」 かくして決まったメトの服装は、夏には似つかわしくない長袖のカッターシャツと膝丈よりも少し長いズボン。これで一応傷の部分は見えなくなった。少し、尻尾を出す部分がきつめなのが気になるが。 「さて、ご飯ご飯」 後ろ手で少し尻尾を引っ張ると、改めて朝食へ向かうべく部屋の扉を開ける。かすかに感じるその匂いに釣られるように、ゆっくりとメトは階段を下りていった。 リビングのテーブルには既に母が座っていて、新聞を広げている。こちらの足音に気付いてか、読んでいたそれをたたみ始めると、隠れていた頭がようやく見えた。 「おはようー」 「おはよー。 あれ、その服……」 軽く挨拶を交わして席に着くなり、リミュは不可解そうな目を向ける。用意してあった服ではなく、わざわざ暑くなるようなものを選んでいるのだから無理も無い。 「まだ、痕が残ってるからさ」 「そっか……暑いから気をつけるのよー?」 「うん、分かってる」 それを非難するわけでもなく、ただ注意を促す彼女に、メトも素直に頷く。 「さ、食べよっか」 「いただきます」 食事の始まったテーブルの傍らにはテレビがあるのだが、点けられる事は無い。最も電源を入れたところでほとんど映らないので実質インテリアのようなものだ。 (こっちまで電波が届かない、とか言ってたけどそのうち映るのかなあ) トーストを頬張りながら、そんなことを考えていると、母が何気なくテレビのスイッチに手を伸ばした。 「あれ、母さん?」 「えー?」 なんでそんな点かない物を、とメトが思うのと大音量の異音がリビングに鳴り響くのは同時であった。 ザザザザ……ガガガガッ……! 「み、耳がっ!」 「酷いわねえ……相変わらず」 「なんで分かってるのに点けるのさ!?」 思わず耳を伏せ、尻尾が逆立ってしまうほどの不快音なのに、対照的にリミュは平然としている。どうやらこの事態を予想できていたらしいが、巻き込むのは勘弁して欲しい。 「だって、テレビの方に向いてたからつけて欲しいのかと思ってー」 「そう言うわけじゃないって!」 哀れなテレビは再び電源を切られ、当の母親からはのほほんとした返事。誰が映らないテレビをつけるかと声を荒げるも、「そうなの?」ときょとんとするばかり。 「もー、映るって分かるまでいいよテレビは……」 「それもそうねぇ……」 メトの苦言はもっともなのだが、それでもまだ未練があるのか眼鏡の奥の瞳はじーっとテレビを見つめている。 (一番テレビを見たいのは母さんなんじゃ?) 半ば呆れながらそんな事を思ったが、口には出さない。今日は退院後初めての登校日、朝から脱力している余裕などないのだ。 (どうなってるのかなぁ) 頭の中に思い描くのは、教室の中での自分の立場。きっとニルバのグループの人間はあからさまに嫌ってくるだろうし、また殴られないとも限らない。それに他の人間もメトに対してどう思っているか気になる。正直なところ分からない事ばかりで不安が大きい。 「メトー、トーストのお替りいる?」 「……」 「おーい?」 「……あ、ごめん。 聞いてなかった」 余程考え込んでいたのか、目の前で手を振られるまで声に気がつかなかった。我に返ったメトの手元には既に空となった皿が2枚。 「どうしたの? どこか痛む?」 「大丈夫だって、何でもないから」 心配そうにこちらの顔を覗き込む母は、いつものおとぼけからは想像できないほど真剣な表情だ。そんなに大げさに反応しなくとも、と微笑みながら首を振るが、その奥の不安までが消えるわけではない。 「……無理しちゃダメよ?」 「……うん」 もっとも、そんな心の内もリミュには分かっているのかもしれない。追求することもなく、ただ身を案じるその言葉に、メトは何か深い物を感じた。 ―――無論、頷いたところで保証などできないのだが。 * 朝食から十数分の後、登校支度を整えてメトは玄関に居た。履きなれた靴を履いて、とんとんとつま先を叩くその後ろにはリミュが立っている。見送りなんて、と嫌がったものの病み上がりで心配だからと言って聞かない。 「じゃあ、行って来ます」 「行ってらっしゃいー。 くれぐれも気をつけてね」 「そんな何回も言わなくても分かってるってば」 昨日から何度も聞いた言葉に苦笑しながら、メトはドアを開ける。朝も早いのに既に夏の虫は騒がしく鳴いていて、まるでこの暑さを喜んでいるようだ。 「ああ、メト」 「ん?」 「行ってらっしゃいのちゅー」 何事かと振り向くと、急に顔をつかまれおでこに軽く触れる感触。それが何であるかをすぐさま察知すると、ぶるぶると頭を振って手を払いのけた。 「何すんだよ! こ、子供じゃあるまいし!」 「あらら、冷たいわねー」 思わず大声をあげてしまったが、母はちょっと驚いたような顔をして肩をすくめただけだった。別に口紅などが付いたわけではないが、恥ずかしさのあまり服の袖で乱暴に額を擦る。 「そう言うのは父さんとすればいいだろ? もー……」 「前まで『お父さんばっかりずるいー』とかせがんできたのにねぇ……」 「え、し、知らないよ! そんなの覚えてない!」 呆れたような抗議の声に対し、首をかしげながら切り返すリミュ。当然そんな記憶は最近にはない。そう、『最近には』。 「あの頃は可愛かったのになあー」 「あーもうっ! いってきます!」 これ以上昔のことを掘り返される前にさっさと学校へ行ったほうが安全そうだ。母親の昔話を強制的に切り上げ、メトは玄関から飛び出す。直射日光は暑いが、今は別の原因で体が熱くなっていた。 * 勢いよく飛び出した、はいいが 「いててて……」 まだ治りきっていない体への負担はそれなりにあるわけで。ものの20メートル程度でメトは体を押さえてしゃがみこんでしまった。節々の痛みは激しいわけではないが、箇所が多いと流石に辛い。 「こんなんで大丈夫なのかよ……全く」 先の不安をぼやきながら大きく息を吐くと、再びゆっくり立ち上がり、地に着いていた膝を払う。少なくとも分かっているのは、しばらく体育は見学だと言う事だけだ。 「でも……」 登校することを他の誰かに決められたわけではない。母親に無理をするなと半ば転校を促されつつも、自分自身で決めた事だ。改めて前を向いたメトの瞳には、強い意志が宿っていた。 踏み出した足はやがて並木を抜け、橋のかかった小川へとさしかかる。いつも通りの道、いつも通りの風景。 「あ」 でも、今日はその景色の中に足を止めさせるものがあった。橋の手前に一本だけ生えている大きな木―――その影の中に居る見慣れた顔。レコだ。 「……おはよ」 「お、おはよ」 こちらの姿を見つけたのか、彼は影の中から出てくると気恥ずかしそうに声をかけてくる。釣られてこちらも挨拶をするが、そのまま歩みを共にするわけでもなく、足を止めてしまう。 「ホントに、来たんだ」 「うん……迷惑だったかな」 入院中、退院したら迎えに行こうかと笑いながら言っていたけど、冗談だと思っていた。驚いただけの言葉なのだが、レコは少し困ったように眉を曲げる。 「そんなわけないだろ。 少し驚いただけ」 「そっか」 笑ってその言葉を否定すると、安心したのか彼も笑顔を見せた。見つめてくる青く澄んだ瞳が、とても綺麗だ。 「さ、行くぞ。 もたもたしてると遅れちまうし」 「うん」 踵を返して橋を渡りだすメトに、少し遅れてレコの足音が続いていく。先を行く彼には見えないだろうが、後ろをついていく少年の表情は本当に嬉しそうにほころんでいた。 「でも、暑くないのその服……?」 「……正直に言うと暑い。 けど……こんなのは見せたくないしな」 小走りに横に並びながら予想通りの問いかけをしてくる彼に、メトは袖をまくって答える。めくれた後にはもちろん凹凸の激しい毛並み。 「……そうだね……いっぱい、あるもんね」 分かってもらえたようだが、やはり思い出すのか、どこか声が重々しい。 「僕みたいに一ヶ所ならいいんだけどねー」 しかし、空気を重くすることなく、レコは自らの左足を指し示しておどけてみせた。数日前の転んだ折に出来た毛並みの凹み―――それも自分が原因であるので少し複雑だが。 「あー、そうかもな」 鼻を鳴らして微笑むと、再び腕を隠すべく袖を伸ばす。かく言うレコの服装は上半身がTシャツ一枚になってるだけで、そこまで暑くはなさそうだ。 「早く治るといいね」 「ああ」 治りさえすれば朝着ようとした服で大丈夫なのに、何とももどかしい。自然と隣の彼を見る目も羨ましさの混じった物となる。 「お前はいいよなー涼しそうで」 「えー、そうでもないよ? ほら」 「お?」 そんなぼやくメトに対し、レコは軽く頭を振って首もとの髪の毛をかき上げて見せた。下手な女子より長い分、ちょっと動かしただけでもこちらに毛がかかりそうだ。 「こんなに長いと、さすがに暑いよ」 「それに重いんじゃね?」 「あはは、そうだねー。 お風呂に入った時とか、すごい重い」 「へぇー……」 そこまで髪を伸ばしたことも無いから分からない感覚だが、きっと大変なのだろう。 と、そこまで考えたところで次に頭に浮かんだのは当然の疑問。 「でも、それなら何でそんな髪の毛伸ばしてるんだ?」 切ってしまえば楽なのに。 「んー……ひみつ」 一瞬レコは考える素振りを見せたが、少し困った風に眉根を寄せると、人差し指を口元に立てて見せた。 「何だよー教えてくれたっていいじゃん」 「だーめ。 もうすぐ教えられると思うから待ってて」 「今言ってくれたっていいじゃんかー」 口を尖らせるメトに対し、悪戯っぽく彼は笑う。それが悪いことでないのは想像が付くが、こう焦らされると気になって仕方が無い。 「また今度、ね」 「ちぇー。 ま、いいか……」 だが、無理して聞こうとまでは思わなかった。そんな強引な方法じゃなくても、その時が来たらレコが必ず話してくれるだろうから。 「ごめんね」 「気にすんなよ」 きっとそれは彼にとってとてもいい事なのだろう。謝る顔すらも笑顔のままだ。釣られてこっちまで笑顔になってしまう。 「うん、きっと言うから」 「ああ、待ってる」 「わ」 しっかりとした約束ではないが、彼を信じるには十分だ。軽く頷くとその頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。くしゃくしゃに乱れる髪に合わせて、目の前の影も揺れている。 「ん……」 「どうした?」 突然、ぴたりと足を止めるレコ。頭を撫でていた手が空を切り、メトもまた足を止めて振り返った。日を背にしているので逆光となって彼の体はとても暗く、その表情は分からない。俯いているのは分かるが調子でも悪いのだろうか。 「大丈夫か? どっか気分でも悪い?」 「……」 黙って首を振る彼に少し安心したが、胸の中にはそれとは違う、異質な不安が芽をもたげていた。 (何だ、この感じ……) じわりと背中を伝う物は、暑さから出てきたものではない。今の彼の暗い姿から、以前にも感じた『何か』を感じている。それは不安とも恐怖ともつかない、嫌な物。いつそれを感じたのか思い出そうとするたびに頭痛を覚える――― 「メト?」 「うぇっ!?」 「……ど、どうしたの、そんな大きな声出して……」 考え込みそうになった自分を引き戻したのは、いつもの彼の声。もっともメトにとってその声は唐突過ぎて、驚きの余り大声を上げてしまった。 「あ、ご、ごめん……で、でも、レコは大丈夫か?」 「? 何が?」 首をかしげながら改めて肩を並べようと近づいてくるレコは、大声のせいで耳を伏せてしまっている。驚かせてしまったのはお互い様のようだ。 「いや、だって具合が悪そうだったし……」 「あ、ああ……別に、そういうわけじゃなくて……その……」 急に口ごもったかと思うと、再びうつむいてしまうレコ。先ほどと同じ仕草だが、今度は自分にもその意味が分かった。 「えっと……ね……あのね?」 「……」 地面とこちらを交互に見比べているが、目は合わせようとせず、開いた耳の内側は赤い。照れているのは誰が見ても明らかだ。一体何故?―――その疑問を押さえてメトは彼を見守る。 「手、つないで欲しいな……って」 「は?」 「……手」 か細い声で絞り出された答えに今度はこちらが首を傾げてしまう。恥ずかしいのだろう、続いた言葉はとても短く、メトの目の前に自らの手を差し出した。開いたその手の内側は、白い毛皮が日光に照らされて少しキラキラしているように見える。 「つないで?」 「え、え? こ、こう?」 促されるまま、犬人の少年は差し出された手を取る。状況がよく分からないけれど、おずおずと手の平の感触を確かめるように右手の指を這わせると、軽く握りこんだ。 「これで、いいのか?」 力を入れたら壊れそうな、細い彼の腕。同じ男の子とは思えないそこから、遠慮がちに握り返す力が伝わってくる。 「うん……ありがとう」 一つ頷くと、ずっとうつむいていた顔もようやくこちらを向いた。耳は相変わらず真っ赤だけれど、とても嬉しそうに笑っている。思わず、どきりとしてしまった。 「な、なんか、恥ずかしいな。 こ、こんな……子供じゃ、あるまいし」 同時に、自分の状況を遅まきながら理解したメトは、自分の内側から恥ずかしさがこみ上げてくるのを感じていた。人と手を繋ぐなど、数年ぶりである。 「僕たち、まだ子供だよ」 「そりゃ、そうだけど……手繋いでるのなんて、低学年の子ぐらいじゃん」 対する猫人の少年は、先ほどまでの照れていた姿が嘘のように楽しそうだ。こちらの手を引っ張るように先へ先へと進んでいく。しきりに頭をかきながらついていくメトとは大違いである。 「他の人とは、こう言うことしないの?」 「するわけないって……」 小さな子たちがしているならともかく、自分達の年頃で手を握っているなんてことはまず無い。脳内でライルやクィードと手を繋ぐことを想像したが、むしろ滑稽な姿が浮かぶだけだ。 「それにあっちが嫌がるだろ」 「恥ずかしいって?」 「ああ……今はそんな話も出来ないけどさ」 嫌がる姿もまた頭の中に浮かぶが、現実はそれを許さない。自嘲気味に苦笑すると、応えるかのように握り返す手の力が少し、強くなった。 「また、前みたいに話すこと出来たらいいのにね」 足並みを揃えて、レコは寂しげに笑う。きっとそれは、とても難しい話だと理解しているから。もちろんメトもそれを分かっているわけで、だからこそ簡単には頷けない。 「……できっこないって」 「できるよ」 溜め息と共に漏らした小さな呟きは、即座に否定された。 「どうして、そんな事が分かるんだよ?」 難しい事は、レコだって分かっているはずなのに。不可解だと眉を曲げるも、彼は笑顔を崩さない。 「だってライル君もクィード君も、きっと君の事心配してるから」 「……!」 「お互い想っていたら、また繋がる事が出来るんじゃないかな?」 それはとても楽天的な話。想っているだけでは、どうにもならない事をメトは知っている。しかし、最初から諦めてかかっていた自分の心が揺れ動いたのも確かだ。 「そう、かも」 「うん、そうだよ」 ためらいつつも、レコの話に頷くと、彼もまたうんうんと嬉しそうに頷く。ライルたちと関係が戻ったら、この関係は壊れてしまうかも知れないのに、いいのだろうか。 「……もし、もしだ、あいつらと仲直りしたら」 「うん?」 「レコは……どうするんだ? 一緒に居れないかもしれないんだぜ?」 「ん……それは嫌だけど……」 分かってはいるが、具体的にどうすればいいのかは彼にも見当がつかないようだ。先ほどまでピンと立っていた耳は再びしおれ、口ごもってしまった。 「俺も……お前と離れるのは嫌だな」 「……」 言っていて自分で恥ずかしい。視線は彼から外したが、代わりに繋いだ手にぎゅっと力を入れる。先ほどレコがこちらを元気付けようとしたのとは違う意味合いで。 「自分が居なくても、なんて思うなよ?」 「……うん」 気がつけば、側から居なくなってしまいそうな、そんな危うさを時に彼から感じる。だからこそ、離れないように釘を刺しておくのだが――― 「あ、ありがとう……」 耳を真っ赤にしてうつむいてしまった今の状態では、言葉の意味が通じたか怪しい。 (なんでそんな照れるんだ?) そんな様子に当てられてか段々とメトの方まで恥ずかしくなってきた。耳が熱く感じるのは夏の日差しのせいだけではないだろう。 「あー……」 「……?」 間延びした声を上げる自分の顔を、レコが覗き込んでくる。照れ隠しに何か話して紛らわすつもりだったが、そんなまじまじと見つめられては却って照れくさい。 「学校、近くなったら手離すからな」 「う、うん……そうだね」 だからか、この気恥ずかしい時間を終わらせるがため、そっけない言葉が出たのは。隣の猫人は寂しそうな声を上げて、ちょっぴり罪悪感が湧いたけれど。しかし、正直な話こんな所を他の人に見られたくない。 メト達の年代はいわゆる、『お年頃』なわけで、男も女も一つだったグループが分かれていくその最中にある。そして自分達が男である女であると意識をし始めると、自然恋愛の話も多くなってくる。メトとレコの二人に限らず、誰かが手を繋いでいるのを目撃したら、たちまち噂となって立ち上り、当人は囃し立てられる事であろう。その手の話が好きな連中(主に女子)への正に『いけにえ』である。 もちろんメトはそんな物になりたくはないし、レコだってきっとそうだから手を離すことを了承したのだろう。 ―――だけど、そんな悲しそうな顔をして欲しくて言ったわけではない。 「そんな泣きそうな顔すんなよ……」 「えっ、ぼ、僕そんな顔してた?」 自分がそんな表情をしていると言う自覚はなかったようだ。頬を押さえて目を丸くしている彼が、どこかおかしくて、思わず頬が緩んでしまう。 「また気が向いたら、してやるから、さ」 「あっ、そ、そうだね……ま、また……」 ニッと歯を見せて笑うと、今にも消え入りそうな声が返ってきた。ざりざりと土を踏みしめる小さな音にすらかき消されるそれは、きっと彼の願いが入っているのだろう。そんな想いに今だけでも応えようと、メトはそっと握っていた指を開き、自分よりも少し小さなそれに絡める。 「あ……」 指先が触れ合った瞬間、驚いたのかレコの体がびくりと震えた。けれど拒絶されることはなく、絡んだ手から優しく握り返す力が伝わってくる。その顔は照れてうつむいてしまっているけれど、尻尾は嬉しさを表すようにきれいに伸びていて、微笑ましい。 「……よろしく、な」 「……うん、こちらこそ」 自然と口をついて出た言葉に、ふとメトは疑問に思う。 (こんな事、言った事あったっけ?) 頭をひねって思い返してもそんな記憶は出てこない。友達になってくれと言ったあの時すら、よろしくとは言っていないのだ。 (順番おかしいよな……) そう、おかしいはずなのに、何故か口元は笑っていて―――それが嬉しいと気付くのはまた後の話。 ただ今は、二人でこの道を進んでいこう。不安を感じていないわけじゃないけれど、不思議と二人なら進んでいける気がした。たとえどんな物が待っていても。 続く |
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